
日中戦争(支那事変)とは何だったのか、という趣旨の記事を見つけましたので、掲載しました。私の観点からは現実的で納得できる見解かと思いますが、人によって捉え方はまちまちかもしれませんね。
■戦前と戦後の「日中戦争」のイメージギャップから目をそらしていけない(1)【渡邉 斉己】
http://agora-web.jp/archives/1582831.html
■戦前と戦後の「日中戦争」のイメージギャップから目をそらしてはいけない(2)【渡邉 斉己】
http://agora-web.jp/archives/1582958.html
「日本人は、中国との戦争を、一体何のためにやっているのかよくわからなかった。これは軍も同じで、だから、どうにかして早く戦争を止めようと、数々の和平工作を行った。
しかし、戦争目的がはっきりしなければ、それを止める条件もはっきりしない。そのため、ずるずると戦争を続けることになった」
「まず、この戦争の『計画性』に問題があります。村山談話にいうように、日本が『植民地支配と侵略』をしたのなら、それを計画した人物が日本にいなければならない。しかし、不思議なことに、それに相当する人物が見あたらないのです」
日中戦争は日本が望んで戦火を拡大した戦争ではなかったため、目的やその計画性など、定義付けるのが難しい戦争です。
話はそれますが、よく「戦争反対!」や反戦を唱える団体がいます。しかし日中戦争を見ても領土の奪取などの明確な目的や計画性もなく、国民の意に反して突発的に起きる戦争や、相手から仕掛けられる戦争も存在するということを認識しているのだろうか、と疑問に思います。
「『日中戦争』が、日本の歩みの歪みの起点であり、歪みそのものであることもいうまでもない。だが、『日中戦争』は以上述べたほかにも中国共産党の役割もふくめて疑問点が多く、世界の戦争史の中でも複雑な特質を持つ。
その意味で『日中戦争』は、その背景、誘因、経緯のいずれについても、相互の冷静で細密な実証的検討が必要になる。
それがなければ、日本も中国も、その体質内にひそむ脆弱点を摘出することができず、反省と教訓をくみ取ることもできないはずだからである」
近代史の一大事象に対し、史実を積み上げそれを総括し、結論付けるという作業は多大な時間を要します。そのため私も「日中戦争とはこうであった」と、今の所一言では語れません。またそれが自ブログで日中戦争を取り上げない一因ともなっています。
口上はこの辺にして、ご興味ある方はリンク先をお読みください。