東京裁判、これが最後です。BC級戦犯と、5人の判事の東京裁判に対する所感です。
●BC級戦犯
A級戦犯は「平和に対する罪」を犯した国家の戦争指導者であり、前述した東京裁判で裁かれた28人のことです。
BC級戦犯は一般の戦争犯罪者を意味します。この状況について映画は語っています。
「捕虜虐待、残虐行為などが国際法で処罰されることを知っている者が乏しかった。軍隊における国際法の教育は事実上皆無に等しかった。これは国際性に乏しい日本の社会体質が生んだ悲劇でもあった。
そうした行為の中には、たとえそれが戦争という極限状態の中で行われたとはいえ、人間として許されざる行為があったことは否定できない。
しかし降伏の意味を含んだこれらの裁判が、必ずしも罪あるものを裁いたとはいえない。中には人違いなどの誤解から無実の者が裁かれた例もあり、また上官、或いは部下の罪を背負って処刑された人もいた」
これは私見ですが、日露戦争で日本はロシア人捕虜に手厚い待遇を施し、その事例が世界的に捕虜待遇の見本ともされてきました。日露戦争から太平洋戦争の間に、一体この激しい差異がなぜ生じてしまったのか、究明することも大事なのではと思います。
●判決までに判事団より出た異論(5人)
最後に5人の判事より、それぞれ東京裁判に対する批判が述べられました。
【ウェッブ裁判長(オーストラリア)】
「天皇の責任問題:開戦の決定がたとえ周囲の進言に従ったとはいえ、日本国最大・最高の権限を持つ立憲君主の責任は免れるものではないと指摘した。
天皇を不起訴とする以上、死刑を含む了見をもって被告たちを有罪とするのは公平を欠くものであるとした。アメリカの政策に対するウェッブ裁判長の最大の抗議だった」
【ベルナール判事(フランス)】
「多数派の判事たちが証拠採用の可否を検討する際、全員による討議を行わず、多数派によって運営を強行してきた事実を暴露した」
【ローリング判事(オランダ)】
「平和に対する罪はニュルンベルク裁判以前には真の犯罪とはみなされておらず、従って現在確定されている国際法からすれば、どのような人も平和に対する罪を犯した角によって死刑に処せられるべきではない」
【ハラニーヨ判事(フィリピン)】
「裁判所が被告に対し、寛大すぎて裁判を長引かせたこと、一部の被告の刑罰が軽すぎて、見せしめにならないという不満を述べた。また裁判所の在り方に根本的な疑問を投げかけたインドのパル判事を、自分の任務を無効にしたと名指しで批判した」
【パル判事(インド)】
「パル判事の意見書は日本語の訳文で1,219ページ。まずこの裁判所で適用すべき法とは一体何かという問題から出発し、その結論として裁判所条例と言えども国際法を超えることは許されない。
これを犯すことはまさに越権であるとし、国際裁判所の裁判官は最高司令官より上位に立って裁定する権限を持つべきであるという基本的な姿勢を表明した。
この裁判においては日本の行為が侵略であったかどうかを質すことが本義であったにもかかわらず、裁判所側が初めから侵略戦争であったとの前提から裁判を進めた事実を非難し、彼自身の歴史への深い造詣から裁判で問われたもろもろの事件を解明し、検察側の描いた日本の侵略戦争の歩みを、歴史の偽造とまで断じた。
彼はアジアの歴史において、さらにさかのぼった時代における欧米の行為こそ、まさに侵略の名に値すると言及し、全被告を無罪と判定しすべての起訴事実から免除すべきであると主張した。
パルの意見はその後、日本無罪論として、あたかも当時の日本の行為が、そして指導者であった被告たちの施策が正当であったことの証明として言われることがあったが、それはパルの本意ではない。
パルはその意見書の中で、日本国の行為、その指導者たちを正当化する必要はないとしている」
東京裁判に対する問題点は、他にも弁護側の主張がほとんど採り入れられない、被告の証言は各自1回きり、裁判の違法性(裁判管轄権問題)についても、ニュルンベルクの判例を根拠に安直に裁定を下してしまう、など連合国主導の運営が目につきました。