【映画 / DVD】「東京裁判」(1)-被告人28名、南京事件 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


言語:日本語、公開:1983(昭和58)年、製作国:日本、
時間:
277分、監督:小林正樹

 

 

 昭和23年、市ヶ谷の旧陸軍参謀本部で開かれた東京裁判(極東国際軍事裁判)での裁判の様子を編集した、4時間以上にわたる長いドキュメンタリーフィルムです。

 

 映画のため、映像の中にも製作者側独自の見解が入り込んでいる可能性もありますが、裁判の模様が教科書のように整然とまとめられていますので、詳細を列挙してみました。



被告席 

 東京裁判でA級戦犯として起訴されたのは、以下の28名でした。

 

荒木貞夫、板垣征四郎、梅津美治郎、大島浩、岡敬純、
賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、小磯國昭、佐藤賢了、
重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳、
東條英機、土肥原賢二、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、松井石根、南次郎、武藤章、
永野修身(裁判中病死)、松岡洋右(裁判中病死)、
大川周明(病気の為追訴免除)



裁判関係者 

 
  なぜ
28名だったのかというと、法廷の椅子が28個しかなかったからという理由でした。

 

 のちにソ連検察団の強い要求により、元外相・重光葵と、元参謀総長・梅津美治郎が戦犯に加えられました。

 

しかし人数を28名に限定せねばならなかったため、元首相・阿部信行陸軍大将と、226事件の黒幕と目された、真崎甚三郎陸軍大将(元教育総監)が起訴を免れました。



永野修身  海軍からは、嶋田繁太郎と海軍大臣・軍令部総長だった永野修身(画像)の2人が起訴されました。永野は裁判中に肺炎で死去。



松岡洋右  日独伊三国同盟、日ソ中立条約を締結した元外務大臣・松岡洋右(ようすけ)は、結核のため一度出廷したきりで獄死。



大川周明1 

東京裁判というと、必ず出てくるのがこの人、大川周明


大川周明2 

文化人で唯一、A級戦犯に起訴されました。

  写真だと、あたかも気功師が気を送っているようにも見えますが、前にいる東條英機の頭を狙っています。


大川周明3 

頭を叩いた瞬間。余談ですがこの人かなり背が高くて法廷で目立ちます。175cm以上かも。


大川周明4 

警備に抑えられ大人しくなる大川周明。叩かれた方もさすがに苦笑しています。

 

 

 彼はその後梅毒による精神異常と診断され、裁判からはずされました。大川が真に精神に異常をきたしたのか、それとも狂言だったのかは謎とされています。

 

 大川周明にふんだんにスペースを使ってしまいましたが、 最後に南京事件についてのナレーターのコメント。


     竹 竹       竹 竹       竹 竹


●南京事件

 

「検察側によると日本軍の中国人殺害数は26万~30万人、2万人の婦女子を暴行したとされている。数字に極端な誇張があり、証言の中にも疑わしいものがあったが、不祥事の事実は否めないと、事件そのものが存在したことは認めている」

 

 現在の日本政府も、南京事件での殺害数は不明だが、事件そのものは存在したという同じ見解を発表しています。

 

 

【外務省ホームページ・歴史問題Q&A

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html

 

 

6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。

 

 

1.    日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。

 

2.    しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

 

3.    日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。