元海軍特務艦「宗谷」と船の科学館別館 【前編・お台場】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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 これは結構前の写真なのですが(2013年の夏)、お台場の船の科学館へ行ってきました。

 

ここは現在改装中ということで、本館は閉っています。代わりに小さな別館と、南極観測船「宗谷」、戦艦「陸奥」(むつ)の主砲が見られます。

 

入場料は無料ですが、入り口で寄付を募っていますので、志程度は必要かもしれません。

 

 

■南極観測船(元海軍特務艦)「宗谷」



宗谷  南極観測船「宗谷」は係留されていて、船内に入って見学できます。

 

宗谷は砕氷船ということになっていますが、太平洋戦争中は海軍の特務艦として活躍していました。



海軍特務艦「宗谷」 

昭和13年に貨物船「地領丸」という船名で竣工しましたが、昭和15年に改装され、海軍特務艦「宗谷」と名付けられました。

 

 特務艦とは他の艦艇の活動を支援する艦で、直接戦闘には参加しません。特務艦にも測量艦、給油艦などありますが、宗谷は物資を運ぶ運送艦でした。

 

 上は昭和15年の海軍特務艦だった時代の写真で、現在の形より大分スリムです。昭和19年のトラック島大空襲では宗谷だけ奇跡的に生還できたという、幸運な艦です。

  終戦後には一時引き揚げ戦として活躍し、海上保安庁の巡視船を経て南極観測船となりました。



士官食堂  こちらは士官食堂で、乗組員のうち士官用の食堂兼サロンとなっていました。



食器室 

士官室の隣にある食器室。右手にお皿が並べられてあります。一部私自身が写りこんだのでアミ掛けました。(^_^;)

 

狭い室ですが、食器室は士官用の食事を準備したり、士官付きの従兵の控室となっています。従兵とは士官の身の回りの雑用をこなす、お世話係です。



治療室 

艦内の治療室。南極観測当時、虫垂炎程度の手術であれば、ここで行われました。

 

 写真のように、あちこちに人形が置いてあるのですが、なぜかみんな欧米人のマネキンです。

 

元日本海軍の艦なんだから日本人のマネキンを置いてほしい。欧米人も見学に来ていたし、彼らも「なんで欧米人?」と疑問に思うかも。



操舵室  操舵室。天井にあるラッパ型の伝声管が時代を感じさせます。



士官用の寝室  士官用の寝室。左にソファ、中央に机と椅子、右に二段ベッドが置いてあり、転げ落ちないようにベッドは木枠で囲まれています。

 

 二段ベッドは小さいと思っていたら、サイズが縦180cm、横65cmということでした。当時の日本人の身長に合わせて小さいのかもしれません。でも大柄な人は困ったでしょうね。 

  後編に続きます。