
大学卒の学徒兵は、戦時初期に海軍では入隊と同時に士官扱いされていました。
しかし昭和18年10月の学徒出陣以来、学徒兵は短期間でも階級は最下位の二等水兵(陸軍は二等兵)から始まることに制度が改変されました。
二等水兵となると、本などの私物も持ち込めず、読書禁止の状態は一年に及ぶ訓練期間を経て、少尉に任官するまで続きました。
「本の虫」のような学徒兵にとって、読書できない環境に置かれることは名状しがたい苦痛を伴います。
訓練期間中、書物として読めるものは公認の海軍関係資料しかありません。その他は一切読書禁止です。しかも常に監視の目にさらされています。
かくなる環境下では本への渇望はますます高まり、最後は本でなくとも何でもいいから、とにかく活字を目にしたいという心境に駆られるようになります。
東大で国文学を専攻していた竹田喜義は、メンソレータムの効能書に細かい文字がびっしり書きつけてあるのに気付き、それを隅から隅まで舐めるように読み返していました。
知的な刺激のない環境に置かれると、もう文字さえあれば何でもよいという、異様な飢餓感が生れると彼は述懐しています。

別の学生は薄手の小冊子、「岩波文庫書名目録」をこっそり持ち込み、分厚い参考書に挟んで隠しながら読んでいました。
書名目録というのは、単に書籍名・著者名を羅列した本の目録です。文字に飢えていた学徒兵にとって、無味乾燥な書籍でさえ、危険を冒して読むほどの魅力があったのでしょう。
しかし少尉に任官すると、一人前の扱いを受けるようになり、私物の本も携帯を許可されるようになります。
こうなると海軍は書籍に関しては鷹揚で融通が効いたらしく、反戦思想を著わしたレマルクの『西部戦線異状なし』など、発禁本さえ自由に持ち込むことが可能でありました。
『戦中派の死生観』、吉田満、文芸春秋、1980