館山航空基地の史料館、前回は海軍の展示品をご紹介しましたが、今回は自衛隊編を2回に分けます。内容はヘリコプターフェスティバルで基地に立ち寄った際の訪問記です。
海軍展示コーナーをうろついていたら、熱心に見学しているように見えたのか、「館空会」と書かれたジャケットを着た方が話しかけてきました。ここの史料館は見学者がまばらだったので、余計目立ったのかもしれませんね。(^_^;)
お話を伺うと、この方は以前海上自衛隊に勤務して、今は引退しているのだそうです。昭和12年生まれと仰っていましたので、自衛隊におられたのは1960~1990年代頃でしょうか。館山で飛行機の整備をされていました。
この元自衛官さんに、色々普段聞けないお話を聞かせていただきました。
引退自衛官さんは、上の画像のような飛行艇を整備していたそうです。右手の哨戒飛行艇「03」は、車輪がなくて水上で着水することしかできませんでした。
その後、左手の飛行艇「81」は車輪を付けて水陸両用となりました。
これらの飛行艇が現在の海自の救難艇、US-2の前型だったそうで、新明和工業(株)が製造元です。何となく型が似ていますね。
私が「ミツビ●も飛行機をたくさん造っていますよね」
とお訊きしたら、元自衛官さんは、
「ミツビ●は金儲けのためだけに飛行機を造っているからいかん。新明和の方がずっといい」
と、新明和工業を高く買っていました。
何でも新明和は飛行機好きな人が集まって、自分たちが良いと思う飛行機を造っているそうです。早く言えば飛行機のオタク集団?
実は、救難艇・US-2も、海軍時代の二式大艇も、新明和が製作・製造したそうです。
どおりで二式大艇とUS-2の形が似ているわけです 私は二式大艇の方は川西航空機が製造したと、ネットでに情報が書いてあったので別会社かと思っていました。
ところが戦前の川西航空機と、戦後の新明和工業は同じ会社だったのですね。∑(゚Д゚)
元整備士さんは、「国産の飛行機を売るということは、整備などの技術も売るということだが、外国では整備の技術がついて行けないだろう」と仰っていました。
整備には繊細さが要求され、狭くて手が入らない場所などには、紙一枚を差し込んで掃除を行っていたそうです。こういう些細なことにまで気を配らないと、整備は完璧にできない、だから海外へ飛行機を売っても、日本人と同じメンテナンスはできないだろうという事です。
そうですね~、外国人は何事にも大雑把だから、整備のレベルも日本人以下になることは目に見えるようです。
海外では公共の場にある時計が壊れても長らくそのままとか、陳列してある缶詰などの商品も、かなりへこんでいても平気とか、良く言えば大らかですが、悪く言えば雑 ですからね。(^_^;)
もし究極の選択で、仕事を飛行機のパイロットか整備のどちらかを選べと言われたら、私自身も整備を選ぶかもしれません。飛行機を修理したり、機械の内部構造を覚えたりするほうが私には興味深いかも。
今日はここまでで、次回の自衛隊・後編に続きます。