
館山航空基地でのヘリコプターフェスティバルの際に見学した日本海軍・海上自衛隊の史料館を3回に分けてご紹介します。

1930(昭和5)年に組織が巨大化した横須賀海軍航空隊から分かれ、千葉県の館山に日本で5番目の航空隊として開設されました。
昭和5年というと、山本五十六がちょうど海軍航空本部技術部長に就任し、海軍としても航空部門の開発に力を入れていた時期ですね。
館山基地は東日本の近距離における哨戒と対艦迎撃がメイン業務でした。だから現在の海上自衛隊基地となっても、哨戒が主な業務の一つとなっているのかもしれません。
事業服(作業服)でなくて普通の軍服(セーラー服)を着ていますが、棒倒しやそれに類似した競技があった場合は、終了後に服がボロクソになりそうな気がするんですけど大丈夫なんでしょうか。(・・;)
最近海軍軍服のお問い合わせをいただきましたので、第一種軍装(冬服)の実物を載せておきます。
(左)海軍士官・正装服:生地の色は真っ黒です。
(右)海軍士官・制服:画像は色の修正をせずにそのまま載せました。軍服の色は近くに寄っても一見黒と見間違いそうな濃紺です。上着の中央と裾の縁取りだけは黒色になっています。
拡大した第一種軍装。中央の留口はジッパーではなくフックです。
第二種軍装(夏服)。写真だと服の質感が残念ながら分からないのですよね~。
そういえば10月に入ったのに、自衛官さんもまだ白い夏服を着ていましたね。いつ冬服に切り替えるんでしょうか。
下士官兵の階級章(官職区別章)はもともとこのような丸いワッペンでしたが、昭和17年に改正され形が変わりました。↓↓↓
昭和17年以降の兵クラスの官職区別章。戦争映画ではこちらの階級章が頻繁に出てくると思います。
話違いますが、風呂敷をクールジャパンとして紹介したらどうでしょうか。1枚の布がバッグになるなんて、素晴らしくクリエイティブだと思うんですけどね。
アメリカもコーラみたいな変な味の食品を売って成功しているんですから、布を外国人好みのデザインに変えるなどして、やり方次第ではウケるかも?
手拭いです。説明には「陸軍除隊記念」とあり、日章旗と中華民国の五色旗がプリントされています。
「大君に捧げし常ながらへて」と書いてあり、保守層の方が涙を流して喜びそうな手拭いです。(爆)
「なんでこんな所に醤油差しが!?」(のん兵衛にはトックリに見えるかも)と一瞬思ってしまうかもしれないですが、瀬戸物の手りゅう弾です。
硫黄島壕内で見つかったものですが、戦争末期は物不足で手りゅう弾が作れず、とうとう瀬戸物になってしまいました。しかし所詮バッタもんですから不発弾が続出したと言われています。
なんか解説がだんだんおかしくなってきたので、この変で止めたいと思います。(でも酒は飲んでません)
次回は自衛隊編です。