以前ご紹介した海上自衛隊の第2術科学校にある、海軍機関術参考資料室の第2弾です。
8月3日のオープンスクールで再訪問して見た展示品のうち、まだ以前載せていなかったものをご紹介します。
芥川龍之介は大正5年から8年まで、まだ横須賀にあった海軍機関学校の英語教官を勤めていました。
機関学校はその後、1925(大正14)年に舞鶴に移転しています。
この角ばった文字は芥川龍之介が書いたものです。彼の小説は小学生の遠い昔に読んだので、内容はほとんど忘れちゃいました。σ(^_^;)
置いてあったアルバムから。将官クラスの海軍軍人たちが椰子の実のジュースを飲んでいます。
椰子の実は中に甘いジュースが入っているので、柔らかい部分にストローを突き差して飲みます。上の人たちは直接飲んでいますね。
背後の人が、うらやましそうな顔をして椰子の実ジュースを見ている面白い写真なので撮ったのですが、この人階級章が佐官クラスみたいです。
佐官が将官に「オレにも椰子の実くれ」とは言えないですよね。(^_^;) 南洋なのに長袖着てるし、暑くて喉が渇いていたのかも。
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「航空母艦飛龍の起工式に使用した金槌」。
飛龍はせっかく造ったのに、昭和17年6月、ミッドウェーで加来艦長と、山口多聞司令官と共に沈んでしまいました。
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大正13年発行の勲章を授ける賞状(?)では、昭和天皇(裕仁皇太子・ひろひと)が病弱な大正天皇(嘉仁天皇・よしひと)の摂政に就いていたので、署名が二名併記になっています。
「古賀峯一大将の親書:連合艦隊司令長官 古賀峯一大将が久保田少将に宛てた手紙である」
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古賀峯一大将は、山本五十六戦死後の連合艦隊司令長官です。あまりにも達筆すぎて読めません。