【本】大岡昇平の『ある補充兵の戦い』 【前編】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


ある補充兵の戦い (岩波現代文庫)/大岡 昇平
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 戦記文学で有名な大岡昇平の、フィリピン戦線での体験をもとに綴った小説です。

 

以前彼の『俘虜記』をご紹介しましたが、こちらは米軍捕虜になって以降の捕虜収容所での生活を描いた観察日記でした。対して『ある補充兵の戦い』は、俘虜になる以前の陸軍補充兵としての従軍記です。

 

私の本のご紹介の仕方は書評というより、どうも当時の状況検証の方に目が行ってしまいがちです。

  小説はノンフィクションでも脚色が入る場合があるため、厳密には資料(史料)とはなりえないのですが、それでも特筆すべきところを取り上げてご紹介したいと思います。


千人針 
 
  

■千人針を捨てる補充兵

 

 千人針はご存じの方多いと思いますが、白地の布に一針ずつ千人の女性に縫ってもらい、これを身に着けていると弾除けになるという縁起物です。

  迷信的思考を嫌う筆者(大岡)は、妻から受け取った千人針を出征地へ出発する際に、輸送船から投げ捨ててしまいました。

 

 「私はそれ(千人針)を雑嚢から取り出すと、何となく拡げて海に抛(ほう)った。夕方はまだ明るかった。布はあるとも見えない風にあおられ、船腹に沿って船尾の方へ飛んで行った。

 

 ざわめきが目白押しに欄に並んだ兵の間に起った。『ああ、ああ』と叫びに交って『千人針やないか』という声が聞えた。私は自分の純然たる個人的行為が、こんなに大勢に注意を惹いてしまったのに少し慌てた。

 

 千人針は水に落ちてもなかなか沈まず、暮れかかる水面に白く浮んで、さらに船尾の方へ流れて行った。

 

 みな私を見ているような気がした。近くの二三人の兵士の顔は怪訝と共に非難を顕していた。

 

 『わざと捨てよったんや』と一人がいった」。

 

 この直後、筆者はそそくさとその場を離れたので、誰からもお咎めを受けることはありませんでした。しかしこの時代にも迷信を嫌うなど、多様な価値観を持った人間が存在していたことが、このエピソードから伺えます。

 

 

■欲求と嗜好

 

 この手の話は書きにくいですが・・・実態を知るうえで掲載します。筆者がマニラへ出征前に福岡に滞在した際の出来事です。

 

 「通りから横町を入ると遊郭がある。昼間でも演習の帰りにのぞくと、肥った娼婦が魚の腹のような腿を出して笑っていたりした。下士官や若い兵隊の一部は、深夜ひそかに彼女達を訪れたようであるが、我々中年の補充兵は一人も出掛けなかった。

 

一体に我々はこの後半年の駐屯中も、格別そういう欲望の刺戟を感じた形跡はない」。

 

 しかし中には一般人と嗜好が違うマイノリティも存在します。

 

 「交替した気象班の隊長代理は軍曹であり、彼より先任の伍長を一人部下に持っていた。(中略)この伍長は男色の趣味を有し、部下の若い兵士は深夜の襲撃を撃退するのに苦心していた。私も彼から煙草を与えられ、手を妙な風に握られたことがある」。


日輪の遺産:望月曹長 

  

■大本営発表で敗北を直観

 

 「所謂台湾沖海戦の大本営発表を我々は気象隊のラジオで聞いた。私はその数字の大きすぎるのに疑念を抱いたが、さらに数日後レイテ湾内の輸送船爆撃のニュースを聞いて、私は敗北を感じた。

 

『勝っていたら、レイテ湾内に敵輸送船がいられるはずがない』というのが私の主張であったが、中山(36歳、東大卒の補充兵)は発表に『決定的戦果を挙げるに到らず』とあるから、それもありうると抗弁した。

 

私はレイテ島の重要さから見て、決定的戦果を挙げられないなら、挙げるまで第二次第三次の海戦が戦われるはずで、それが行われないのは聯合艦隊に行う力がないからだ、と指摘したが、彼は『そういう悲観的解釈は前線では無意味だ』と軽蔑したようにいった」。

 

 当時の太平洋戦争では陸軍は陸軍、海軍は海軍でそれぞれ戦い、互いに戦果などの手の内を見せませんでした。従って陸軍は、海軍の正確な戦況を把握していなかったことになります。

 

 しかし筆者のように冷静に戦況を分析すれば、正確な状況を把握することも可能だったようです。要は人の言った事をそのまま信用するか、報道と事実のギャップに気付いて真相を探求するかという、洞察力の問題なのかもしれません。