慰安婦問題をスピリチュアリズムの視点で見る | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


青い実 



(動物実験の画像があります。ご注意ください)

 

 これまで慰安婦問題を何回か取り上げてきましたが、今回はスピリチュアリズムの視点から見て、この問題をどう捉えるかを見ます。判断材料はシルバーバーチの霊界通信を根拠とします。

 

 シルバーバーチによるとまず、行ったある行為が適切か、適切でなかったかは以下の条件で判断します。

 

 

     動機: その行為を行う動機が人の為になっていたか(利他的行為だったか)

 

     道義心: その行為を行った時、罪悪感を持たなかったか。又は「自分がしてもらいたくないことは、他人にしない」ことを目安にし、それに違反していなかったか。(罪悪感を持ったら良くない行為と判断する)

 

 

以上の2条件をクリアしていれば因果律(カルマ)は発生しませんが、これらいずれかに違反するとカルマがやって来ます。因果律(カルマ)という呼び方に抵抗がある方は、トラブルと言い換えてもよいでしょう。

 

 以上の2項目を慰安婦問題に当てはめて考えていきます。当時、日本軍が慰安婦制度を始めた動機は、日本軍が占領した地域での女性に対する強姦や暴行を防止するためだったと言われています。

 

 これは実際の真相はどうであったかは特定できません。他にも慰安婦制度を始めた理由があったのかもしれませんが、特定できるとしたら、神のみです。ですからできるだけ真相に近く見える動機を取り上げることにします。ここでは日本軍を相当善意的に見て、以下の理由が動機であったとします。

 

  日本軍が慰安婦制度を始めた動機:

 

日本軍が占領した地域での女性に対する強姦や暴行を防止するため。これは地域住民のためとなっているので、利他的行為、つまり良い行為であったといえる。

 

 では次に、慰安婦制度が道義心に適っている行為かどうかを見ていきます。「その行為を行って、罪悪感を抱くかどうか」を調べます。

  これは女性の視点から見て、見知らぬ複数の男性に性行為を提供するということは、ほとんどの女性にとって抵抗感や罪悪感を抱くことではないでしょうか。

 

 男性の場合、慰安婦の行為について想像しがたければ、尾籠な話になってしまいますが、同性相手に性行為を提供すると考えられてください。

 

これは堅い本に書いてあった話なのですが、男性が同性相手に慰安婦と同程度の行為を行うと、最後には一生オムツが手放せない身体になってしまうそうです。大金は受け取れるが、自分でこのような仕事に従事したいか?ということです。

 

 ましてや自分の姉妹やパートナーに行ってもらいたい仕事かと問うと、いくら大金を稼いでもお金によほど窮していない限り、普通はNOとなると思います。

 

 このように、慰安婦制度とは罪悪感を抱いてしまう、要するに現代人の道徳心に反する行為なのです。

 

動機が「地域の強姦被害を防止するため」なので、一見良い制度だと思ってしまいがちですが、その手段が人間の道徳心に違反するものであった場合、いつかはカルマ(トラブル)がやって来ます。


 青い夜  

 

 慰安婦制度のように道徳心に違反する行為の場合、カルマ(トラブル)の到来の仕方は二通りあります。第一にその行為を悪い行為と思い、罪悪感を抱きながら行っていた場合は、カルマ(トラブル)はすぐさまやって来ます。

 

 この事例で言うと、慰安婦制度を道徳的にも不味い制度だと自覚しながらこの制度を設置した場合、カルマ(トラブル)は即座にやって来ます。それは人間として許せない行為だからです。

 

 第二には、実はよく考えると罪悪感を抱いてしまう行為なのだが、それを自覚せずに行ってしまった場合です。この場合はカルマ(トラブル)が時間差を置いてやってきます。つまり、その過去の出来事に罪悪感を持つようになった時に、カルマ(トラブル)が生じます。慰安婦制度はこちらのケースになります。

 

 なぜ戦時中の慰安婦制度が現代になって問題になってしまうのかというと、現代人の人権意識(道徳心)が戦時中よりも向上し、慰安婦制度を悪いものだと自覚するようになったからです。

 

こうなると、問題を放置しておくと人々は良心の呵責に耐えきれず、国内外から非難の声が続出するようになってきます。そしてこの問題を政治的に悪用されたりなど、結果としてカルマ(トラブル)が生まれてくることになるのです。

 

これでも「なぜ自分らが行ってもいない過去の出来事を、現在糾弾されねばならないのだ?」と思われる方もあるかもしれません。

 

もし納得できないようでしたら、動物実験の問題を挙げます。動物実験は例えば新しい製薬を作る段階で、臨床試験の一環として必ず義務づけられています。この目的は人間の治療薬を完成させるためです。

 しかしいくら人間の福祉に役立つ行為だからといって、それが見るに堪えない残虐な行為であれば、理屈抜きに非難されることになります。

 

現在は製薬・化粧品の動物実験にウサギ、モルモット、犬、猫、猿などが使用されているようです。一例として動物実験に使用された犬・ネコの画像を載せます。



ケース1 

動物実験によりバーナーで身体を焼かれたビーグル犬


ケース2 

動物実験で頭に電極を刺され、実験を繰り返されて最後に肉塊になってしまったネコ。



 以上のような様子を見ると、「人間の福祉に貢献しているから」云々以前に、「これはひどい」という声が上がり、理屈抜きに「そんな残虐行為はやめろ」という訴えが必ず起きてきます。 

 

 慰安婦制度と動物実験には共通点があります。それは人間の幸福をめざしているのだが、その手段が人間の道徳心に反するものであるため、結局は社会問題となってしまうという側面です。

 

 こうなると、行った行為に過去も現在も区別がなくなってしまい、人々に非難されるという現象が起こります。ですからこの点が、慰安婦問題の争点ともなってしまったわけです。