護衛艦「やまぎり」見学 【横浜】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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 初めて海自の護衛艦を見学に行ってきました。護衛艦  横浜開港祭の一環として「やまぎり」(DD152の艦内が見学できるようになっていましたが、艦内といっても上甲板のみでした。



見学者  横浜の赤レンガ倉庫 白猫 の近くに係留されていました。上甲板には見学者がすし詰めです。


浮き輪  私は自衛隊に夢中になるほど興味があるというわけではないのですが・・・。自分の性格だと、本当に自衛隊に興味があったのなら自分で入隊していたと思います。


入口  だから私自身の海自の見どころは、旧海軍の慣習をどれだけ継承しているのかとか、護衛艦を見ることで、旧海軍の追体験になるのではないかとか、そんなところですね。


76mm単装速射砲  76mm単装速射砲。対空射撃に使用するそうです。


 上甲板を一巡して見学しましたが、やはり横須賀にある日露戦争で活躍した、戦艦「三笠」なんかよりもず~っと小さいです。 大艦巨砲の時代も今は昔・・・。


弾薬包  上の76mm速射砲で使われる弾薬包を展示して、乗組員さんが解説していました。

船首  船首は立ち入り禁止。

「やまぎり」は排水量3,500トンで、旧海軍の駆逐艦「雷」(いかづち)は1,680トン、軽巡「長良」が5,170トン。

 

 すると護衛艦は規模としては、海軍の駆逐艦と軽巡の中間くらいなのでしょうか。駆逐艦は海自の護衛艦よりさらに小さかったわけです。小さいから船酔いしやすいとも言われていましたし。


護衛艦  1942(昭和17)年、スラバヤ沖で漂流していたイギリス将兵400人以上を救助した、工藤艦長の駆逐艦「雷(いかづち)には、このように甲板上に捕虜が押し合いへし合い乗っていたのですね。

 

 

■工藤俊作 -敵兵422名を救助した海軍中佐(1)

http://ameblo.jp/zipang-analyzing/entry-11473557723.html

 

 

駆逐艦は護衛艦の約半分の大きさだったのだから、さらに立錐の余地もなかったのでは?この混雑具合を見て、400人以上救助というのがどんなに大変だったか分かった気がしました。人が多すぎて、敵が来ても戦闘行為ができませんね。


アスロックミサイル  アスロックミサイル。左側は知らない方です。(連れの写真撮っているように見えるので)

 乗員の方に旧海軍との比較で色々お聞きしてみたかったのですが、突然海軍のことを訊かれても戸惑いますよね?   質問をしてみて、とりあえず甲板士官は現在もいるという回答をいただきました。


災害活動の写真  通路に災害活動の写真が掲示されていました。

 訊きたいことは色々あるのですが、やはり質問しにくいです。 乗員の方が男性ばかりなので、ヘタに声をかけて、出会いを狙っているのかと思われても恥ずかしいですしね・・・。

 

本当は女性自衛官さんに質問したかったのですが、会場入り口のセキュリティチェックにいただけで艦上には誰もいないし・・・。


消火活動  これは護衛艦の外ですが、消防隊の方?護衛艦の中で消火活動に従事するのでしょうか。

うちわ  いただいたウチワです。

護衛艦でもかわいらしくマンガ化するところは、いかにも日本らしいです。 以前中国人の友達が言ってましたね、「なんで日本のモノはみんなカワイイの?」って。