
数週間前に、海軍に反戦軍人はいたのか?という疑問を某記事に掲載したのですが、その際に以下のような反論をいただきました。その際の、ねこさんのコメントの一部を引用させていただきます。
はじめまして、祖母のいとこが潜水艦の司令だったので、史実からの比較ではなく、当事者たちの側面からコメント書きますね まぁ、史実のみで捉えると見方によって様々です。
さて、祖母からの自害した第1潜水隊兼第631航空隊司令だった、祖母のいとこの話を聞く限りこのお話は、かなり現実的です
当時は、祖母はその従兄弟の話を聞くたびに非国民なんじゃないかと疑ったぐらいらしかったです(中略)
>現代的なヒューマニズムを前面に出すより
とありますが、現代的なヒューマニズムを持っていたのが、当時の海軍の現場に出ていた将校たちです。(中略)
例えば、真珠湾攻撃終わったあとで、東京に戻ってきて祖母とお茶した時は、「これで日本は負けた」と話したそうですまた東京初空襲では「これで少しは馬鹿どもも目が覚めるかな」と言ったそうです
細かいこと書けばいろいろありますが、その度に、喫茶店などにいて、祖母はびっくりしたそうです。(というか、男女で喫茶店行ける身分って孫として・・・と思うのですが)
かなり、現代的なヒューマニズムを持ってます
確かに戦争反対の海軍軍人は存在していたのでしょう。海軍の一部は日独伊三国同盟締結や、日米開戦にも反対していましたから。しかし海軍での「戦争反対」というのは曲者で、山本五十六を見ても、最初反対していた日米開戦をその後積極的に推し進めるなど、言行一致しない部分があります。
例えば戦時中に戦争反対していた海軍軍人が存在したとしても、反対派には色々なタイプがあります。
1.「戦争反対」と思っても、実際には何も口にしなかった軍人。
2.「戦争反対」を実際に口にしていた軍人。しかし特に反対行動は起こさなかった。
3.「戦争反対」という信念を、支障のない範囲で周りに目立たないよう、何らかの形で実行していた。
4.「戦争反対」という信念を、目に見える形で実行に移した。
4.に該当するのが、ドイツではシュタウフェンベルク大佐一派のヒトラー暗殺計画ですね。この作戦は失敗しましたが、日本海軍に反対派が大勢存在したのなら、なぜこのような可視化される形での反戦活動が海軍で生じなかったのか、残念に思えます。
「戦争反対」を口だけ唱えて実行しないのは反戦だったと言えるのか、またそれだけ多くの反戦軍人が存在したのなら、なぜ三国同盟締結や日米開戦を回避できなかったのか、「反戦」と言っても戦後に後付けで脚色された話もあるのではないか、反戦派は海軍に実際何割程度存在したのか、など様々な課題が浮かび上がってきます。
「海軍には多くの反戦軍人がいた」と言われても、それが結果(史実)に反映されていなければ、やはり疑問に思ってしまうわけです。このように研究として、海軍での戦争反対層の実態を調べてみるのも面白いと思います。
また「反戦」と聞くと、手放しに良い事と思ってしまいがちですが、中には「自分だけ死にたくない」という利己的な理由も存在しますから、反戦を唱えた人間全員が、必ずしも立派であるとは限りません。
一例として、ある年配男性Dさんからお聞きした話を掲載します。Dさんの父親Eさんは、戦時中のある日、徴兵検査による出頭を命じられました。戦争に行きたくなかったEさんは、視力検査を偽って目の悪い振りをして、赤紙(召集令状)を免れたそうです。
「父親が戦争に行かなかったから、(戦後生まれの)私も今、こうして存在しているんです」と、Dさんは「良い話」としてこの逸話を披露していましたが、私の方は複雑な気持ちで聞いていました。その動機如何によっては「自分さえよければいい」という利己的な行動となりますから。
Dさんはお話を聞くと左寄りの考えをする方らしく、「反戦=無条件に良いこと」と思い込んでいたようでした。
ここからは余談になりますが、シルバーバーチの理論で言うと、Eさんの戦争拒否の理由には、幾分利己的な動機が混ざっていたのでは、と匂わせる後日談があるのです。(利己的な動機を伴った行為にはカルマが発生する)でもこれは私の全くの推測ですので、話半分にお聞きください。
出征しなかったEさんは地元に留まりましたが、その地は広島だったのです。徴兵を免れたものの、Eさんは広島で原爆の光を浴びて被爆者になってしまいました。もし出征していたならば、被爆は免れた確率はかなり高かったと思います。
Eさんはもしかすると、戦争に出征して苦難を甘受することで、カルマも解消できたのかもしれません。ところがそれを自分の意思で曲げてしまったため、今度は代わりの原爆という代償でツケを払わされた可能性があります。身につまされる話でした。