
この映画は戦争を皮肉るのがテーマなのですから、慰安婦の存在自体には敬意を払われています。決して彼女らを「下等な人間」と見られるような取り扱いはしていません。
しかしこの内容を見てなぜ現代人が、映画での慰安婦の扱いに違和感を持つのかというと、映画が40年以上も前の、1965(昭和40)年に製作されたのが原因だと思います。
人類の道徳心(人権意識)は年代を経るごとに向上していきます。戦時中、慰安婦は合法的に許可されていました。
しかし映画が製作された1965年に慰安婦制度は既に廃止されていますが、慰安婦制度を「是」として堂々と、映画で肯定的に扱う土壌が社会の中にまだ残っていたのだと思います。
「現代映画では絶対にこんなセリフありえないだろう」という例として、字幕入りの画像を載せます。
「少年諸君はまだ済んでないと思うが、どうかな」と上官の小杉曹長が話しかけ、少年兵たちは「何がでありますか?」と尋ねます。
「んー つまりその・・・童貞だ」
と言ってから、小杉曹長が部下の少年兵に、右手にいる慰安婦を紹介しています。
小杉曹長「みんな オフクロのオッパイでもしゃぶるようなつもりで抱いてもらえ」
この場面私はドン引きですが・・・ 女性の場合、私のように感じる人も多いかもしれません。
このあと小杉曹長が、「慰安婦を抱く時には、つつしんで、敬礼してから抱け」と下達して、慰安婦と少年兵たちが和気あいあいと笑い合っている場面が続きます。 映画の初頭にこのような但し書きが出てきます。この映画公開当時は問題にならなかった表現が、現在では「不適切」となっています。
つまり上記のような但し書きを入れないと、慰安婦制度を道徳的に「非」とする現代人が見た場合、何も否定的表現が入っていないので、製作者は慰安婦制度を好ましいものと捉えているのではないかと錯覚してしまうのです。
現代では、こんなあからさまな場面は映画には普通採用できませんよね?それは現代人の道徳心が、映画製作時の1960年代よりも向上しているためです。
だから社会もこの種の人権問題に敏感になってきて、人々が不快に思うセリフや場面は、取り上げないようになってきています。これは表現の自由が狭まったとか、そういう問題ではなく、他人への配慮の仕方がより繊細になってきたのだと思います。
日本人として、集団の道徳心(人権意識)の高さは以下のようになります。
道徳心(髙い) > 道徳心(低い)
2013年現在 > 1965年の映画公開時 > 1940年代の戦時中
アメリカが従軍慰安婦問題に過敏に反応するのも、この問題が道義心に反するので捨て置けないからだと考えます。
慰安婦問題が知られるようになったのは、韓国から米国への盛んなロビー活動の成果もあります。しかしアメリカは日本以上に性的描写に厳しい国であり、この種の問題を持ち込まれると人権国家を標榜する立場上、無視するわけにはいかない、という一面もあるのだと思います。
1940年代当時に許容されていた慰安婦制度を、現代人の道徳観で断罪するのはフェアではない。又はアメリカも占領軍が日本で同様の振る舞いをしていたではないか、という矛盾があるのですが、やはり倫理的な価値観が地上では歪んでいるため、全体的に正しく反映されていない、というのが現状となっています。
今回は内容が映画から大分それてしまいましたが、慰安婦問題を述べる契機となりました。
キーワード:陸軍、北支戦線、軍楽隊、従軍慰安婦、フィクション、殺人の是非、反戦軍人