軍の秘密主義、カヤの外の政治家 | 太平洋戦争史と心霊世界

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 戦時中、陸軍と海軍は互いに連携が取れず、各自秘密主義を貫いていたことは有名ですが、陸海軍と政治家の間でもまた情報共有がなされていませんでした。それらの例を以下に挙げて、お互い情報共有できなかった原因を探ってみます。


■近衛元首相も知らなかった日米戦の状況


近衛文麿 

近衛文麿



  大本営陸軍報道部員であった平櫛(ひらぐし)孝氏は、近衛元首相をはじめとした政治家グループ十数人に講演を依頼され、ある日講義のため霞が関を訪れました。

 

「私は、冒頭に『私は報道部員の末席を汚しているものでして、私が今日お話し申し上げるようなことは、皆さまお歴々には決して耳新しいものではないことをお断りしておきます』と前おきして講演をはじめようとした。すると、第一列中央の近衛公が突然立ち上がって、

 

『はなはだ失礼ですが、お願いがあります。私は前総理大臣ですが、軍の戦況については何も知りません。知らされておりません。今日お集まりの皆さんもご同様です。どうか一般の国民向けの講演と同じにお願いします』との申し出があった。

 

 そんなこともあろうかと、うすうす想像がつかないではなかったが、この日の二度にわたる衝撃は大きかった。おそらくその日の私の話は支離滅裂だったに違いない。

  一国の中枢にいる人物たちが、何も知らされていない、とはどういうことか。軍の秘密主義、思い上がりの最たるものであろう。これでは国をあげての総力戦などできるはずはない」。



■政治家も衝撃を受けた大和沈没



鈴木貫太郎 

鈴木貫太郎


「大和沈没は、軍人以外の為政者にとっても大きな衝撃だった。

 

 第二艦隊がほぼ壊滅した194547日、のちに戦争の幕引きをする鈴木貫太郎内閣が誕生、新任式が行われた。内閣書記官長・迫水(さこみず)久常の回想によると、内閣の面々は新任式のあと、控え室で大和沈没を知らされた。

 

『一同は、そこまで戦局が逼迫していたのかと唖然とした』という」。


  以上の問題を戦前の統治機構から見ていきます。

 

大日本帝国憲法下での統治機構

 大日本帝国憲法下での統治機構。戦前の憲法下では、全ての組織は天皇に直結し、互いに並列状態で横のつながりに乏しかった。



まず現在の日本国憲法下の統治機構ですが、行政権は内閣が持っています。首相には強い権限があり、国務大臣の任命や、罷免ができます。これを小学1年のクラスに例えると、以下のようになります。

日本国憲法 


【日本国憲法】小学生のクラス(内閣)の教師(首相)は、生徒(財務省などの国務大臣)に対し、全ての教科や学校生活全般を管理する権限を持つ。 

小学1年なので学級委員は存在しないため、 教師(首相)が保健係や給食係などを、直接生徒に割り当てる。(国務大臣の任命・罷免)

 

 行政権はクラス(内閣)に例えると、必要に応じて運動会に参加したり、校庭の草むしりを行ったりすること。(社会福祉、道路整備などの行政を行う)

 

 

対して戦前の総理大臣は、陸軍相、外務相などの国務大臣と同等の地位にあり、各国務大臣の単なるまとめ役でしかありませんでした。戦前の首相は現在の日本政府でいうと、内閣官房長官程度の権限しかなかったと言われます。

 

また明治憲法下では天皇が行政権を持ち、内閣は単なる天皇の補佐的組織にとどまっていました。これを高校のクラスで例えると、以下の通りです。

大日本帝国憲法 


【大日本帝国憲法】生徒全員を内閣に例えると、学級委員長(首相)は他の生徒(国務大臣)と同等の地位にあり、単なるまとめ役に過ぎない。

 教室では担任教師(天皇)が色々な行事を行う権限(行政権)を握っているが、高校生のため自主性が重視され、小学校ほど教師(天皇)も生徒たち(内閣)に口出しはしない。

 

 

 このように首相(学級委員長)の権限は大変弱かったため、秘密主義の陸軍・海軍(生徒たち)から必要に応じて情報(通信簿)を出させ、それを共有することができなかったわけです。自分の通信簿なんて成績が悪ければ悪いほど、同級生に見せたくなくなりますよね。

 

従って近衛元首相や鈴木内閣のように、いざ戦況のフタを開けたら大変なことが起こっていたという、驚くべき状況に置かれていたのでした。