
東京の九段下にこの史料館はあります。九段下は靖国神社があるせいか、他には靖国の遊就館と昭和館など戦争関連の史料館が集まっています。
ここは戦傷病者とその家族の苦労を語り継ぐという国立の施設となっており、入場料は無料です。地下鉄・九段下の駅を出てすぐの場所にあります。「しょうけい」とは語り継ぐと言う意味の「承継」から来ています。
館内は撮影禁止なので、これ以降は案内書の画像をお借りしました。
史料館は1階と2階があり、1階は傷病者の戦争体験談を流している「証言映像シアター」と図書閲覧・視聴覚室、2階が展示室となっています。
展示室の一隅には上のような等身大の人形が展示されているのですが、本物みたいのと周りを暗くしているのでちょっと不気味です。
展示品は負傷兵が所持していたメモや手紙・千人針、義足や義手・義眼などの補助具。医療関連の視点から見た戦傷病者の歴史です。
また病院船「氷川丸」の映像もありました。氷川丸は現在、横浜の山下公園に係留されていて中が見学できます。
(左)看護婦の制服。(右)傷病兵の寝巻。
日中戦争・太平洋戦争でも、医療関連の歴史の研究はまだあまり開拓されていない分野だそうです。
負傷兵が掛けていたメガネ。弾がレンズを貫通して頭部に留まり、手術で弾丸を抜き出したと説明が付いていました。軍医に、このメガネがなければ助からなかったと言われました。
1階のシアターでは沖縄戦の体験談を流していましたが、印象に残った部分を記述します。
【沖縄戦の体験談1】元陸軍少年兵
青酸カリで自殺した場合大変である。まず服毒後、鼻と口からどす黒い血がドバーッとほとばしる。次に手足のそれぞれが不均衡・不規則に20秒間ほどバタバタとひどくけいれんする。
そして数分の間身体がピクピクと震え、どの人間も息を最期に大きく2回吐くと、すぐに死に至る。みんな一様に同じ死に方をする。
その光景はすさまじかった。青酸カリで自決しようとした軍人は、先に逝った犠牲者を見て驚いて服毒を止め、「こんな方法より、米軍に撃たれた方がまだましだ」と、立てこもっている洞窟から外へ逃げ出した。
【沖縄戦の体験談2】元沖縄の少女
洞窟に女性何人かで身を潜めていたところ、入り口の方から米兵の「カムヒアー」(Come here)という声がした。しかし当時は英語が分からなかったため、「構わん、やっちまえ」と言っているように聞こえた。
それで洞窟にそのまま隠れていたら、中に爆弾を投げられて大やけどをして重傷を負った。その後米軍により収容所に送られたが、やけどと傷で顔が変形し、右手を切断しなければならなかった。
そのため戦後は自暴自棄になっていたが、やがて戦災孤児の保母となる仕事に生きがいを見出し、それが天職となった。
■しょうけい館・傷病者史料館
http://www.shokeikan.go.jp/index.html