4月18日は、山本五十六・連合艦隊司令長官がブーゲンビル島上空で撃墜され戦死した日です。よく考えたら今年でちょうど
70年目ですね。それにちなんで彼のエピソードを掲載します。
「山本が義理人情に厚かったとか、部下思いであったという逸話は山ほどある。(中略)山本がこういう性格の人物ならば、軍人よりも政治家か、宗教の教祖の方が向いていたのではないかと思われるほどである。
1931(昭和6)年6月18日、山本の妻礼子の親戚で前軍令部長の山下源太郎大将が69歳で死んだ。死ぬ前の長い病気の間、山下の妻徳子は昼も夜も枕頭に座って看護をしていた。
重病の山下が目を開けたとき、徳子がいると安心したような表情をするので、片時もそばを離れられないのである。だが、それが長期間つづき、徳子の疲労がひどくなった。
ある深夜のことであった。山本は徳子の大島絣(かすり)の着物を着て、帯を締め、山下の枕元に座った。赤い下締めまでちらつかせ、姿形や身ぶり手ぶりまで徳子そっくりである。居合わせた人びとは、息をのんでおどろいた。
ときどき昏睡から覚める山下は、つつましく座る山本を疑うことなく徳子と思い、安心してまた目を閉じた。