
陸軍軍旗はボロボロになってもなお使用され、その風貌がまた隊の誇りとなった。
日本の陸海軍では、慣習として物体を統治者に見立てて畏怖の対象とする物神崇拝があったようです。
物神崇拝:ただの石にすぎないような物に呪力や神的力を感じ,それを拝んだり祀ったり,それに異常な関心を抱くこと。
日本陸軍では軍旗は天皇の分身とされ、極めて敬意を持って扱われ崇拝の対象でした。人命よりも大事な物とされ、万が一敵の手になど渡る不手際があった場合、大変な責任問題となりました。
そのため連隊が玉砕する際は、奉焼という名のもとに敬意をもって軍旗は燃やされ、敵方に奪われないように対策を講じていました。
軍旗がどれくらい大切であったかを示すエピソードがあります。歩兵第321隊の後藤四郎少佐は終戦の際、その直前に授与された軍旗の処置に頭を悩ませました。
その結果、最初で最後の軍旗祭(注1)を行い、その式場で爆薬を仕掛けた祭壇の上に軍旗を置き、部下にスイッチを押させて軍旗もろとも自ら爆死しようと決心しました。しかし部下の行く末などを考え結局思いとどまりました。
しかし彼は軍旗を手放すのは忍びなく、軍旗祭の場で軍旗を燃やしたように見せかけ、実物は神社に秘匿しておきました。これが日本で唯一現存する軍旗で、現在は靖国神社の遊就館に展示されています。
注1)軍旗祭:帝国陸軍において各歩兵・騎兵連隊がその衛戍地や出征先で開催していた一種の祝賀行事(イベント)。連隊の象徴である軍旗(連隊旗)の拝受を祝い、また軍旗が普段安置されている連隊長室から営外に移されことからこの名がついた。(ウィキペディア)
靖国神社に展示されている歩兵第321隊の軍旗
陸軍とは対照的に、海軍では軍旗を特別視はせずに、単なる備品として扱っていました。この相違は海軍では艦艇を動かす技能者集団なので、陸軍以上により合理的な考え方をしなければならなかったためと見られています。
しかし海軍でも天皇の御真影、つまり天皇の写真は大変丁重に扱われていました。これは海軍だけではなく日本人全体としての傾向でした。そのお蔭で軍艦が沈没する時も大切な御真影を抱え、逃げるに逃げられず艦と共に沈んでしまった兵もいました。
実際のところ軍旗はただの布切れであり、御真影は印画紙と額縁で構成された物体です。軍旗も写真も天皇本人ではありません。これは偶像を崇拝する宗教と同じではないでしょうか。
古くは旧約聖書の『出エジプト記』で、モーゼが外出中にユダヤの民が金の子牛を勝手に造って拝み、後に帰ってきたモーゼに偶像崇拝だと怒られています。これと同じ概念です。
日本人には、物の中に魂が宿ると考える傾向が強いようです。年中行事で針供養と言うものがあります。これも古くなった針を柔らかい豆腐に刺していたわるという行為が、軍旗を天皇の代理に見立てている心理と同じです。
針供養
一方西欧人はどうかというと、ある日本人がアメリカにホームステイした際の話です。食事の際に椅子に座ると低すぎたため、アメリカ人の家族の一人がこれで高くしようと言って百科事典を持ってきて椅子の上に置いたそうです。
日本では本を大事な物として、丁寧に扱う人もいるかもしれませんが、欧米人は本とは単なる活字が書かれた紙の集合体と見なしているわけです。
現在の日本では戦前ほどの物神崇拝は無くなりましたが、「イワシの頭も信心から」よりこの方が精神的には健全なのではないかと思います。