
太平洋戦争の際の戦没学生の遺品・遺稿を集めた小さな資料館です。展示品は2階のみとなっていて、1階は事務室で戦没学生の遺稿を編集した冊子などが販売されています。
所在地が東京大学の向かい側に面しているので、てっきり東大付属の施設かと思っていたのですが、全然関係なくて有志の寄付を募り運営している展示館だそうです。
展示室はこれが全てです。とても小規模で遺稿の展示が多いです。撮影は展示品の詳細はダメだが、遠景ならOKと許可いただきました。
展示物はハガキ、写真、日記、手紙、スケッチ、手書きのカルタ、遺留品入れ袋などが並べられていました。
以下は戦没学生の手紙や日記からの書き写しです。外部に知られたら問題ありと思われるような、頭の中が軍国主義化していなかった学生の手記です。
■昭和20(1945)年5月11日の沖縄へ出撃する学生。特攻前夜の「所感」より
「これは或は自由主義者と謂はれるかも知れませんが、自由の勝利は明白な事だと思ひます。人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、例へそれが抑へられて居る如く見えても、底に於いては常に闘ひつつ最後には必ず勝つと言う事は、彼のイタリヤのクローチェの言って居る如く真理であると思ひます。(中略)
ナチズムのドイツ亦(また)、既に破れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物の如く次から次へと滅亡しつつあります。(中略)
真理の普遍さは今、現実に依って説明されつつ、過去に於いて歴史が示した如く、未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思はれます。(中略)
明日は出撃です。(中略)明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。」
■佐々木八郎、「日記 Ⅳ」、昭和17(1942)年2月26日
「決して所謂“日本的世界観”が世界を支配するといふ事のある道理はない。日本では未だ封建時代の道徳が強いだけの事で、数十年の後には現在の日本人の賓斥(ひんせき/排斥)する“英米的世界観”を人が持つ様にある。其(それ)は人間性の必然なのだ。(中略)
真の愛国者は抽象的な国家機構を社会の一単位としての国家を愛するものではない。国民を、人類を愛するものたるべきである。」
まだミッドウェー海戦前の日本の勝ち戦の時期に書かれたものですが、にもかかわらず将来を見通しているような洞察力に驚かされます。この方の道徳観は現代人と同程度レベルですね。
戦没朝鮮人学徒兵の遺稿コーナーもありました。以下が解説です。
■朝鮮人学徒兵
「日本陸軍は昭和13(1938)年から志願制で朝鮮人に軍務を課していた。朝鮮に徴兵制が法制化されたのは昭和18(1943)年3月、その実施は昭和19(1944)年4月であった。
それゆえ、43年10月の『学徒出陣』、44年1月20日の『朝鮮人学徒出陣』は、形式上は『志願制』であったが、実際は強制的なものであった。
学徒の中には、軍隊内で抵抗運動を起こしたり、連合国側に加わったり、脱走に失敗し軍法会議で処刑された者がいた。」
「また民族意識はあっても日本に協力することによって民族の向上を計った者もいたし、日本に同化して戦った者もいた。
出陣学徒4,000名のうち戦死者は620名である。しかし、日本人として戦死した朝鮮人に対しては、戦後の『日本国』は国民には与える遺族年金や補償を、外国人になったとして朝鮮人には与えない。他方、戦後独立した韓国の同胞は日本軍人として戦死した者や家族に冷たい眼を向ける。」
要するに朝鮮人にも様々な学徒兵がいたということでしょう。しかし戦中は朝鮮人を日本人扱いしていたのに、戦後には日本人ではないとして補償が出ないというのは道理が通らないです。
私は韓国などが歴史を政治利用することには断固反対ですが、こういう事は納得いくように対応すべきだったと思います。
この展示館の見学は無料なのですが少額寄付させていただいたところ、色々お話を聞いているうちに最後に有料の冊子をいただいてしまいました。微々たる寄付だったので結局申し訳なかったです。
というわけで、余り知られていない場所なので宣伝させていただきました。人手不足ということで開館時間も短いのですが、遠くの方なら東大を見学がてらに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
本郷通りで赤門を少し行った所の反対側にあります。都営大江戸線の本郷三丁目で下車。
■わだつみのこえ記念館
http://www.wadatsuminokoe.org/home