
今回は俗っぽいテーマですが (^▽^;) 、文献・戦争小説などで颯爽とした海軍兵学校の生徒や、真っ白な詰襟に短剣を吊った海軍軍人は女性の憧れの的であったという描写をよく見かけます。
しかし陸軍の軍人がモテモテだったという話はあまり聞きません。(^_^;) これは何故だったのでしょうか。
最初に大本営報道部の陸軍部に勤務していた陸軍軍人が、海軍報道部と宴会をした時の話が残っていますので、内容をご紹介します。
「(宴会の)その席でも、長髪に美しく櫛を入れた海軍さんと、やぼなイガ栗頭の陸軍では、見てくれも問題にならず、隠し芸も海軍の圧倒勝ち、侍る女性も海軍側に傾いて、陸軍側の完敗、たしか、第一回は海軍側の主催で催されたので、その答礼の意味もあって、第二回目は陸軍側の主催で陸軍色の強い土俵で行ったのだが、これも惨めな敗北であった。
歌一つとってみても、「抜刀隊」は、「軍艦行進曲」には勝てなかった。敗因は、陸軍報道部員が愚直なほどのやぼてん人間の集まりだったということにつきる。」
「海軍の将校は、白の制服に金色の参謀肩章、頭は長髪に櫛を入れ、(中略)陸軍将校は、茶褐色の軍服、イガ栗頭、これでは黄色の参謀肩章も映えない。(金モールでなく黄色の編糸、濃緑の編糸のものさえ代用品として使われた)。同じ日本の軍人でどうしてこうもスマートさと野暮くささが対照的なのだろう。」
と、若手の士官ばかりでなく、海軍軍人は一般的にみな格好よく見えたようです。
海軍軍人がスマートに見えた理由は、軍艦など海軍兵器が格好良かったためとか、海軍は機械を操る技能集団だったので合理的だったため、言語と動作にも無駄がなく洗練されて見えたのではないか、と説明している本もあります。
女性の視点から見ると、海軍軍人がスマートに見えるのはやはり第一に軍服やヘアスタイルの見栄えの良さではないでしょうか。
陸軍は坊主頭で、対して海軍は飛行士や大尉以上は自由に髪を伸ばせるので頭髪はあくまで一般的にですが、海軍に軍配が上がると思います。
陸軍は昭和13年以降に襟が開いた形の軍服に改正されましたが、個人的意見としてこれはあまり見栄えがしない気がします。
昭和13年式の襟が開いた陸軍軍服。階級章は襟に。
しかし昭和13年以前の陸軍軍服は格好良く見えます。なぜ襟の形が違うとこうも見栄えも変わってくるのか不思議ですが、着る方はこの詰襟よりも13年以降の開いた襟の方が着心地は良いのでしょうね。
対して海軍ですが、白い詰襟に金色の参謀モールを吊るとあら不思議、年配男性でもとっても素敵に見えてしまいます。この軍服のマジックは一体何なのでしょうか。 Σ(・ω・ノ)ノ!
海軍一種軍衣も黒色のせいで、陸軍の黄土色よりスタイリッシュで洗練されて見えるのかもしれません。
これが例えば海軍軍人が普段着を着たなら、もちろん全員が格好良く見えたわけではないと思います。だから軍服が実物以上に外見を良く見せていたのですね。
他のスマートに見える理由としては、海軍兵学校は当時、現代の東大に入学する以上の超難関であった、つまり海軍士官は特務士官を除きエリート集団とみなされたこともあるでしょう。
また兵学校では社交ダンスやテーブルマナーなどを教え、少尉候補生になると遠洋航海に出て海外見聞を広めました。
この海軍教育が、海軍軍人が通常の日本人には無い洗練された雰囲気を醸し出していた理由なのかもしれません。当時の庶民では海外旅行へ行く余裕などありませんでしたから。
中には料亭で泥酔し芸者に狼藉を働いたり、部下いじめで鉄拳を振るう情けない海軍士官もいた、だから欧米風重視の教育は海軍士官のスマートさに関係ないとする説もあります。
しかし普通の女性は料亭など行きませんし、内輪のいじめの場面も見ることはないのでそんな事情は知りません。当時の大方の女性は、やはり表面的にカッコいい軍服を着て洗練された海軍士官と見てしまったのだろうと思います。
最後に陸軍士官は内陸部など至る所で見かけますが、海軍軍人は港付近に出没が限られ、しかも陸軍よりもずっと少人数世帯です。そんな余り目にしない海軍軍人の希少価値がさらに「格好よさ」に拍車をかけたのではないでしょうか。