言語:日本語、公開:1984(昭和59)年、製作国:日本、
時間:128分、監督:舛田利雄、出演者:橋爪淳、堤大二郎、丹波哲郎、早見優
飛行機をテーマにした戦争映画って多いですね。この映画も昭和14年の零戦の黎明期から昭和20年の終戦で役目を終えるまで、一人の飛行士とその親友の整備兵を通して話は展開していきます。物語は実話がベースになっているようです。
昭和14年、横須賀海兵団に入団した飛行兵の浜田正一(左・堤大二郎)とその親友の整備兵、水島国夫(右・橋爪淳)。
殴られるのが嫌で2人で家に逃げ帰ろうとしたところを、上官に見つかってしまいます。
その後上官の下川大尉(左・加山雄三)に格納庫で試作段階の零戦を見せられ、これに乗ってみたくはないかとに誘われて逃亡を踏みとどまります。
脱走を大目に見てくれるとは良い上官でした。海軍では上陸で休暇を取った際、遅刻したら半殺しの目にあったとか、それが嫌で首をくくったという例までありますから・・・。
昭和18年4月、い号作戦にあたり、山本五十六(中央・丹波哲郎)がラバウルに視察にやって来ました。いつものように一人だけ二種(白)を着ています。
ラバウルに駐在し、エースパイロットとして名を馳せていた浜田(中央)は、山本五十六の護衛機に搭乗することになります。この人顔が水泳の北島さんに似ていますね。
水泳金メダリスト・北島康介さん
護衛6機と一式陸攻で視察に出かけた山本長官一行は、ブーゲンビル島に差し掛かったところ、暗号を解読して待ち伏せしていた米軍機に撃墜されました。初めて三種軍装(青褐色)を着た長官はこの日が命日になってしまいました。
上の画像は映画のせいか長官の背中の傷はこの程度ですが、人間が実際に機銃にやられると、腕や頭が丸ごと吹っ飛ぶなど、悲惨な状態になるそうです。つまり飛行機の機銃掃射は人間を撃つものではなく、飛行機を破壊するためのものだからです。
そのため山本五十六の遺体は発見された時はきれいな状態だったため、飛行機墜落後も実は生存していたのではないかという説が現在も囁かれています。
生還した山本長官の護衛機のパイロットたち。うなだれる彼らに上官(中央の三種軍衣)の決意が響きます。
「海軍には海軍の出処進退の伝統がある。咎めはないが、俺たちの進むべき道ははっきり決まっとる。生きている限り、内地の土は踏めんという覚悟はしておけ!」
こうして護衛機の生存組は毎日出撃を命じられることになります。実際にミッドウェー海戦では上層部は失敗を下士官兵に押し付け、生き残り組は激戦地に送り込まれるという海軍の伝統を強いられています。
毎日死にに行く覚悟の出撃なので、パイロットのストレスも大変なものです。
一方米軍パイロットは、ある程度の回数か期間を勤務した後は、前線をローテーションで後方と交替し、勤め上げた者は米国本土で休養を取ることが出来ました。ローテーションも3交替ほどで回していたようです。毎日の出撃で疲弊していた日本軍とはえらい違いです。
浜田はある日とうとう被弾して火だるまになり、零戦ごと墜落して生き残ったが、負傷して後遺症が残ってしまいました。彼は療養のため内地へ帰還します。
使い捨ての様にボロボロにされても、なお日本で飛行士に復帰しようとする浜田兵曹(右)。それを見た親友の水島整備兵(左)は、知り合った吉川静子(中央・早見優)に頼み込み、浜田を前線に行かせないよう一計を案じます。
映画は昭和20年8月15日の終戦で終わります。最後に不要になった零戦を、ねぎらいの意味も込めて燃やしてしまいます。いつもそうですが、終戦の場面は糸の切れた凧のようにわびしいものです。
まさかこのためタイトルが「零戦燃ゆ」なのではないと思いますが、零戦が活躍した時代という意味も題名に込められているのでしょう。
この映画と同時代に作られた「連合艦隊」(1981年)は悲壮感が漂っていたのに比べ、音楽も陽気な感じで、なぜか明るめな印象のある映画でした。
何故かと思ったのですが、「金ピカの80年代」と言われる時代真っただ中の1984年に作られたので、映画の雰囲気も勢い時代に引きずられたのかもと思いました。
キーワード:海軍、航空兵、零戦、ラバウル、山本五十六、い号作戦、海軍甲事件、三菱、下川大尉、第一種・二種・三種軍装