
戦場へ行けば全員勇んで戦ったかと言うとそうではなく、逃走して何とか生き延びようとする士官もいました。
以下は特務士官が観察した兵学校出の士官の記録です。立派な上官も存在したが、卑怯だった士官も多く許せないと、当時の恨みつらみを綴っています。
「部下を敵の餌食にして、そのあいだに自分は逃げてしまうとは指揮官にあるまじき行為だが、この手のエリート将校は、一、二にとどまらなかった。初期の南京爆撃のころ、指揮官H(海兵50期)少佐などがそうだ。
指揮官はスロットルを絞りぎみにしないと後続機はどうしても遅れがちになり、編隊が乱れるのは当然であった。
だが彼は、寸秒を争って敵機の圏内から離脱しようと、「何をぐずぐずしてるんだい」とばかりに、操縦員が絞ったスロットルレバーを指揮官席から手を伸ばして自分でいっぱいに開いて全力遁走したのである。
それからは、このH少佐は「スロットル」と言うあだ名で呼ばれ、誰も本名で呼ぼうとはしなかった。」
「人間、いったん臆病風にとりつかれたら、もう恥もメンツもなくなるようだ。とくに、地上で威張りちらしたり、いつも口うるさく下士官・兵を叱りとばす将校ほど、イザとなるとからきしだめである。
堂々としているように見えても、しょせん虎の威をかるキツネでしかなかった。しまいには私は、つくづくそのようなやつらの顔を見るのもいやになった。」
「アメリカ軍の物量と、あとからあとから湧き出てくるような敵機の大群に、すっかり臆病風にとりつかれたエリート将校はたくさんいた。
逃げ足の早い『イダ天大尉』、雷撃前に的戦闘機に遭遇、あわてて抱えている魚雷を3,000メートルの上空から捨てて逃げる『3,000大尉』、
命ぜられた索敵地点から飛ばないで、途中の安全な上空で旋回して燃料を消費して、後席の偵察下士官に『帰ってから、絶対に言うな』と口を封じておいて、『敵影を見ず』と敵状報告した将校など――。
兵隊の賑やかな笑い話のサカナにされたようであった。」