
「リトアニア在勤当時の杉原千畝」。1900(明治33)-1986(昭和61)。享年86歳。
外交官・杉原千畝(ちうね)は1940年、リトアニアのカウナス領事館でユダヤ難民6千人に日本政府の許可なしに日本通過ビザを発給した人物です。彼はユダヤ人を救った人道的功績で、戦後イスラエル政府から表彰されています。
杉原は同年9月にはチェコスロバキアに一家そろって移動し、プラハ領事館に着任しました。これはその地でのエピソードです。
「ある日、ドイツのリッぺントロップ外務大臣にプラハ在住の各国の領事館代表が呼びつけられたことがあった。
ヨアヒム・フォン・リッぺントロップ外相。1893-1946。
リッぺントロップが呼びつけた部屋には見るからに危険そうなジャーマンシェパードがこれ見よがしにつながれ、リッぺントロップは世界征服を本気で夢見ていたヒットラーの得意満面の肖像画の下で、各国の外交員たちに、
『君たちがチェコにいるのは不都合だ。今すぐに大使館を撤去してもらいたい』
と声高に告げたのだった。
だが、沈黙する外交官たちの中で唯一人、千畝は臆することもなく、見事なドイツ語でリッペントロップに反論した。
『日本はドイツとパートナーシップを結んでいる。そのドイツにここを立ち去れ、と言われる覚えはない。あなたはドイツの外務大臣かもしれないが、私も日本を代表してきている。そのことをきちんと理解した上で私に接して欲しい』
リッペントロップにとってこの日本人はしばらく忘れられない存在となった。
千畝は領事館に戻ると、妻の幸子に、
『今日は気分が良かった。リッペントロップにしっかり言ってやった』
ともらしている。
千畝のこのエピソードは、千畝の外交手腕の優れた一面と、彼の隠し持っているプライドの高さを垣間見るものである。
外交は相手になめられたらおしまいだ。
心の優しい千畝だったが、仕事になると、その駆け引きや、押し所、引き所を見事に心得ていた。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったナチス・ドイツのヒットラーの片腕リッペントロップにこのような口が効けた外交官は千畝だけだったろう。」
日本人の中には外交というものを理解できず、「みんな仲良く」的な現実世界で通用しないアプローチを、そのまま政治に適用しようとする人もいるようです。
しかし実際には彼のように高潔な人物でさえ、国の外交や交渉を、外国人個人同士の付き合いとは全く区別しています。
つまり絵に描いたような理想形だけ唱えても、問題は解決しないということなのでしょう。平和を望むにしても、その理想を現実社会に適応した具体的な形に落とし込まねばなりません。
そのために道義心の低い社会では、平和を希求しながらも最悪戦争という結果になることもありえます。
杉原千畝はこの点でさすがに海千山千の海外事情に通暁しており、この逸話から彼が優秀な外交官であったことが垣間見えます。