山本五十六・伊藤整一の人生を検証する【前編・シルバーバーチ】 | 太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


木と日の光 


シルバーバーチとはかつて3000年前に地上生活を送り、地球を霊的に浄化するため、人間に霊的真理を届けようと地上に降りてきた高級霊です。

 

 これまで自分の「動機」と「道義心」が、人生において善悪の基準を計る指標となる、ということを述べてきました。最後にその総括として、動機と道義心でどのように行動の善悪を判断するのか、実在の人物を例に挙げて解説していきます。

 

 まず「動機」「道義心」についての復習です。

 

動機:ある人が何らかの行動を起こすとき、その行為が本当に人の為になると思うのならば、たとえ間違った事でも本人は咎を受けない。

 

道義心:道徳心と同義語。上記で判断した動機を基に行動を起こす。

 そしてその行為に何も良心の呵責を感じなければ、その行動は正しいものと判断される。(道義心にかなっている)

 反対に良心の呵責を感じれば、その行動は正しくないと言える。(道義心にかなっていない)

 

日本兵 


【例1】良い事を行うために、悪事(自然の摂理に外れたこと)を働く。

 

 戦時中に外地に駐在する日本兵A。軍からの糧食が払底して配給も途絶え、戦友が餓死寸前の状態である。同僚を飢餓から救うため、やむを得ず日本兵Aは現地住民の部落を襲い、食料を略奪してきた。

 

【動機】食料略奪は餓死しそうな戦友を救うためであり、これは人の為の行為となるとAは信じているので動機はOK。しかし「強盗」という行為自体は、自然の摂理(神の教え)に反した間違った行為である。

 

【道義心】日本兵Aが強盗する行為に対し、良心の呵責を感じる(Aの道義心に反する)場合は罪を負うことになり、何らかの償いを行いたいと思うようになる。或いはその代償として因果律(カルマ)を背負うことになる。

 

 反対に日本兵Aが罪悪感なしに食料強奪を行った場合は、罪の咎めを感じないので道義心もOKということになる。しかし悪事を働いても罪悪感は感じないという、霊的未熟さが残るので、本来ならば到来する因果律(カルマ)は凍結状態となる。

 

 その後日本兵Aの霊性レベルが向上すれば、因果律(カルマ)が解凍して、略奪を行った人たちに対し罪悪感が芽生えてくる。

 日本兵たちも飢えていたが、現地住民も負けず劣らずの飢餓状態を生きていたことに気付いた。
A
はそのため罪滅ぼしを行いたいと思うようになる。

日本兵Aの道義心のレベル  動機は人の為になり、良心の呵責も感じないが、行為が自然の摂理に反する場合


                               


【例2】伊藤整一が戦艦大和での沖縄特攻を承諾した行為を考察する

 

伊藤整一:海軍の第二艦隊司令長官。昭和204月、沖縄特攻の際、将兵3千人以上の犠牲を出し、戦艦大和の沈没と共に戦死した。(詳細は「伊藤整一」の記事をご覧ください)



 トンガリ頭の伊藤整一 
伊藤整一

【動機】伊藤は最初、沖縄特攻は成功の見込みがないという見地から、犠牲も多く大反対だった。しかし「一億総特攻の先駆けになってくれ」との上層部の依頼により、あっさり承諾してしまった。

 

 この動機は、後に続く特攻の見本になるということ、つまり国を守るために戦死するという理由となる。動機は人のためになるので問題はない。

 

【道義心】この当時、「一億総特攻」という言葉が巷にあふれ、「特攻の先駆けに」と海軍上層部から要請されれば、断れない雰囲気が漂っていたという。つまりこれを承諾してしまった伊藤整一の道義心は、世間一般の道徳心と同程度のレベルだったといえる。

 

またこの話から、伊藤も説得された後は沖縄特攻に対し、良心の呵責を感じなかったと推察される。従って道義心もクリアしていた。

 

しかし成功する見込みがないと初めから分かっていた大和での水上特攻に出撃し、結果的に将兵3千人以上を戦死、残りの兵も負傷させてしまった。これは絶対不回避な出来事とも言い切れず、伊藤の交渉次第で特攻を中止できた可能性もあった。

 

このような立場から伊藤は(死後になるが)、彼の道義心が向上するに従い、大勢の人間を死傷させてしまったことに罪悪感を持ち、償いをしたいと感じるようになる。

 

  伊藤整一の真実の動機・道義心は、実際には誰にも分かるものではありませんのでこちらで推察しました。

 

後編に続きます。


キーワード:動機、道義心、応用例