
昭和20年4月の沖縄特攻で戦艦大和は米軍に撃沈されました。大和の沈没後、日本兵たちは溺れそうになりながら海中に浮いていましたが、その際の米軍側の非道行為の話も残されています。
大和から海に落ちた乗員は数百人と言われましたが、そのうち駆逐艦に救助された者は半数近い269人でした。残りは救助を待つ間、溺れたり鱶(ふか)の餌食になったり、米軍の機銃掃射で撃たれたりして命を落としました。
米軍機の機銃掃射は何時間にもわたり、無抵抗の漂流者も容赦なく撃たれました。海に浮かんでいる者は機銃弾を浴びせられるたび海に潜ってやり過ごしていました。
救助の駆逐艦が来ると、米軍機は今度は遭難者を回収させまいと、駆逐艦にも機銃を撃ちこんできました。
日本海軍は敵の漂流者を撃たないことを原則としていました。レイテ海戦の時に「大和」は敵艦を沈めましたが、海に浮かぶ敵兵を前に機銃を撃ちかける者もいました。
しかし艦長や副長から発砲を禁じられ、米軍漂流者をそのままにして大和はやり過ごしました。
従って日本海軍関係者にとって、丸腰の遭難者に何時間も機銃を執拗に撃つなど、米海軍の行為は言語同断の卑劣な振る舞いだったのです。
後に英国のジャーナリスト、ラッセル・スパーが、大和と共に沈没した軽巡「矢矧」(やはぎ)の原艦長にインタビューし、その残虐行為は米国民の人種的差別に根差すものだと以下のように告発しました。
「アメリカ人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに気が咎めなかった。彼らは太平洋において人種差別を常に派手に戦ってきた。日本人もそうだった。
新聞の大見出しになる種を探している高官連中は、公然と日本人を殺すことはシラミを殺すことより悪いことではないと言明した。
アメリカ人は、捕虜に対する日本軍の残虐行為についての報告に、神風の異常な狂信主義までが加わったため、日本人は人間のでき損いであり、慈悲をかけるにはほとんど値しないと、信じるようになったのである。
この残虐性は4か月後に広島で、その頂点に達することになる。」
日本軍の特攻が、日本人への蔑視を増大させたという分析でした。スパーの考察によれば、確かに特攻行為が米軍のやみくもな残虐行為に走らせた一因になったと言えるかもしれません。
しかしこの残虐行為は戦勝国側で行われたため、戦争終結後も裁判等で一切裁かれず、不問にされてしまいました。
以上の逸話は戦争における不条理性と、「勝って官軍」とされてしまう、人間同士での裁きの不公正さを物語っています。