戦時下のジョーク集(3)-「先生」 | 太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


かぼちゃ 



昭和の戦時中に出版されたジョーク集です。

 

●「先 生」

 

先生「相手が興味を感じないことを、いつまでもいつまでも話している人を、何と言いますか」

 

生徒「それは先生と言います」

 

(『モダン日本』モダン日本社、昭和6年6月号)

 

 

●「野暮天」

 

彼女A「あんた、あの人どう?」

 

彼女B「つまんないッたらありゃしないわよ。だって、この前も遊びに来た時、あたしわざと電燈のヒューズを切っといたのに、彼ッたら夜中までその修繕にかかりッきりなの」

 

 

(『週刊朝日』朝日新聞社、昭和9年1月新年特別号)

 

 

【解説】昭和ヒトケタの年代にも週刊朝日は発行されていました。1922(大正11)年創刊だそうです。


 

●「名は体を現す」

 

甲「前内閣の寿命は案外短かったね」

 

乙「当り前さ、名前からして早し(林)内閣だもの」

 

甲「ところで、今度の内閣はとても評判が良いじゃないか」

 

乙「そうだとも、此のええ(近衛)内閣を、われわれ国民は大に後援すべきだよ」

 

 

(『日の出』新潮社、昭和12年9月号)

 

 

【解説】「早し内閣」とは昭和122月に成立した林銑十郎(せんじゅうろう)内閣のこと。しかしこの内閣はわずか3か月余りという短命政権で終わりました。

 

 代わって発足したのが「此のええ内閣」こと近衛内閣(第一次)で、国民の圧倒的支持を受け成立しました。しかし実際には優柔不断的な政策に終始し、結果としては日中戦争の事態の解決どころか、国勢を泥沼の事態へと導いてしまいました。

 

 しかしいつの時代でも、新内閣に対する国民の期待は大きいですね。 (^_^;)