
伊藤整一:1890(明治23)年- 1945(昭和20)年、
享年54歳
海軍中将、伊藤整一は昭和20年4月、沖縄特攻にて戦艦大和と運命を共にした司令長官として有名です。
また私生活では愛妻家として知られていました。海軍軍人といえば花柳界での浮いた話も多かったのですが、そんな中、地味でもあるが異色の高潔な軍人として伊藤整一の名は残されています。
伊藤に関しては、出版されている伝記も彼の写真も希少な数しかありません。その少ない資料を利用して彼の生涯、特に人柄を通して、いかに戦争に対処していったのかを見ていきます。10回全話です。
最初に彼の人柄です。
「伊藤整一は、若い時代から常に正道を歩き、筋を通すことで知られていた。的確な状況把握、均衡のとれた判断には定評があり、良識人の多い海軍部内においても、知性派の代表格であった。
ただし筋を通すといっても、一方的に自説を主張するのではなく、部下、同僚に存分に発言させ、納得できるまで聞く。そしてよく考え、考えぬいてから発言し行動する。したがって、後になって言い訳をするようなことは、まったくない人であった。」
「生来、柔和、清廉、鷹揚で、はなはだ寡黙であり、要するに海軍の名将が備うべき条件を、ほとんどすべて身につけていたのである。
私心がないから、子分もないが敵もなく、めったに喜怒哀楽をあらわすことはないが、親しくつき合うと、思いがけず深い人間的な味わいのある人であった。」
鷹揚で柔和な人柄を表すエピソードとして、「榛名」艦長時代、新米の従兵が伊藤に紅茶を出そうとして、緊張のあまり砂糖の代わりに塩を入れて給仕してしまったことがありました。しかし伊藤は何も言わずにその紅茶を全部飲み干してしまいました。
後で気づいた従兵が青くなって飛んでくると、伊藤は屈託のない声でただ笑っただけでお咎めも一切なかったそうです。彼はわたくし事で怒らない事にかけては徹底していました。
「公私混同を嫌い、身ぎれいな無欲な生活を貫いた点でも、高級軍人のなかでは異色の存在であった。」
これに関しては昭和19年5月、軍令部次長のとき母を亡くしました。海軍省は対面を考慮し、葬儀用に自動車や物資の提供を申し出ましたが、伊藤は「もってのほか」とこれを固辞し、海軍からのいかなる援助も断っています。
以上のように伊藤は物静かであれ、物事に鷹揚で、人当たりもよく潔癖であり、極めて高い人格の持ち主であったことが伺えます。要するに、現代人なら黙っていても組織でリーダーに祭り上げられるような人柄でありました。
「ジパング」にも伊藤整一はたった1コマですが出てきます。(^_^;)(8巻)