1年半も護衛艦暮らしだった海自官たち【ジパング】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。



 コミック『ジパング』は、200X年にイージス艦「みらい」が日米合同演習のために横須賀を出港したところ、途中で昭和1765日のミッドウェー海戦の真っただ中にタイムスリップしてしまうという話です。

 

 それから数々の紆余曲折を経て、「みらい」は昭和1812月、最後に米軍に撃沈されてしまいます。

  この間実に
1年半の期間、乗組員たちは角松二佐ら少数を除いて、ほとんど艦艇暮らしをしていたことになります。

 

 しかし護衛艦の内部は狭いです。個人のプライベートなスペースは、2段ベッドなどの各自の寝る場所だけとなります。

艦艇内の生活:二段ベッド 

艦艇内の生活:寝床は二段ベッド


艦艇内の生活:科員食堂 

艦艇内の生活:科員食堂(海曹・海士用)


艦艇内の生活:食事 

ついでに食事も。ヾ(@°▽°@)ノ 『ジパング』に出てきたものと同じ盛り付けです。



 護衛艦の中で個室が持てるのは、艦長・副長とそのすぐ下あたりのクラスまでだそうです。

 

 また朝の洗面・身支度も集団で行い、艦内で一人になれるのはトイレ(大)くらいではないでしょうか。

艦艇内の生活:朝の洗面・身支度 

艦艇内の生活:朝の洗面・身支度



 こうしてみると、16カ月も艦内で集団生活をしていた乗員たちは相当ストレスが溜まっていたと思います。

 途中角松二佐と菊池三佐が仲間割れをして二派に分かれてしまったのも、欲求不満やストレスが鬱積して爆発 してしまったのが一因かもしれません。

ジパング・15巻 

『ジパング』15巻。菊池三佐(左)と角松二佐(右)は意見の相違により二派に分裂。艦内で紛争が発生したため少数派の角松が「みらい」を下艦することになった。



 以上のような、狭くてプライバシーの無い艦艇暮らしはストレス が余計に強化されることになるようです。

 

自衛隊では頻繁にいじめ問題が取り沙汰されるようですが、この環境も部下や下級者をいじめて鬱憤を晴らす という、歪んだ行為に一役買っているのかもしれません。特に海自は一旦艦艇で出港してしまうと艦内は密室状態になるので、逃げ場がないです。

 

私は元自衛官でも何でもないので素人なりに、プライバシーの無い自衛隊の暮らしぶりがどんなものか、代わりに避難所生活に当てはめて考えてみました。

 

以前、東日本大震災の際に被災した方々の避難所を訪問したことがあります。そこで見たのは体育館のストレッチマットで低い囲いを造っただけの、居間兼寝室のために家庭ごとに細かく区分けしたスペースでした。

 

その構成はちょうど下の画像と同様でした。

避難所生活 

その体育館では寝るのも生活するのも、行っていることは誰でも外から丸見えです。ある年配の男性は私に、「こんな所にいたら気が狂ってしまう。 」とこっそり呟きました。

 

 このように、プライバシーのない集団生活では、次第に神経が参ってきてしまいます。従って自衛隊のいじめ問題の解決に関しては、なるべくストレスの溜まらない環境を整えることも大事なのではないでしょうか。

 

とは言っても昔から軍隊は集団生活と決まっているので、どこまで改善できるのかわかりませんが・・・予算の関係もありますしね。(・_・;)


(自衛隊の記述に関して、もし間違った個所がありましたらご指摘ください)