
昨今いじめられた生徒が蜂や蛙を食べさせられたなどの、いじめの問題が巷を賑わせています。
海軍の制裁に関する話は何度か取り上げたことがあります。しかしあれから70年ほども経過した今、現在の状況が当時の海軍と同じでは進歩が無いのではという意味で、海軍時代のいじめの様子を再度取り上げてみます。
「厠(かわや)番(便所当番)の兵が巡検に備えて便器をピカピカに磨き上げ縄を張って立ち入り禁止にしたところ、艦長の次に偉い副長が縄を乗り越えて入り、無残にもシャーと小便を放って汚してしまった。
すぐあとに巡検があり、兵学校を出たばかりの甲板士官に見つかって、言い訳無用の海軍慣例どおり、罰として小便をなめさせられたという涙の体験談もある。」
「料亭で泥酔し、エス(芸者)を相手に蛮勇をふるう士官の姿も多く見られた。」
また海軍では制裁の激しさゆえ、兵の自殺者や死人も出ましたが制裁者はそれでも厳しい咎めも受けることはありませんでした。
実際の規則上は、海軍では制裁は禁じられていたのですが、兵に体罰を与えている者を士官クラスの軍人が見かけても見て見ぬふりをし、それを止めることはなかったといいます。下士官兵が内輪で行うことには無関心だったということでしょうか。
ただ上官全員が厳しい体罰を与える鬼のような人物だったのかと言うとそうでもなく、体罰を全く行わなかった上官も中には存在していました。
「兵の日常生活については陸軍も海軍も同じようなもので、すでに近代軍隊では影を潜めたはずの私的制裁は随所に見られ、艦内生活は逃げ場のない閉鎖社会だけに、巡検後の整列(制裁)には陸軍に見られない陰惨ささえ感じられる。
大艦になるほどその躾(しつけ)は厳しく、♪ 鬼の「山城」(やましろ)、地獄の「日向」、いっそ「金剛」で首つるか ♪・・・といった兵隊歌まである。いずれも戦艦名である。」
戦前の軍隊は江戸時代の名残で、兵士を「士農工商」の「農」と見立て、「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」と扱っていたのかと疑ってしまいます。