
現代では映画『007』などの影響もあり、スパイや諜報活動はカッコいいという印象がありますが、戦前の日本では華々しいイメージはなく、日蔭の部署でした。
かつての日本では、戦闘とは無関係とは言わないまでも、情報収集は陰でコソコソやる仕事という印象が強くありました。
従って、情報収集に従事する人間は日の当らぬ場所で黙々と精勤しても、あまり評価されることがありませんでした。
陸軍では参謀本部第二部長(情報関連の部署)を務めた情報中将のこんな証言が残されています。
「弟(中将、第八方面参謀副長)がね、俺にこう言うんだよ、『兄貴は中将止まりだが、俺は大将まで行くね。兄貴は情報畑だけど俺は作戦だからね』と。
つまり、『作戦』は『情報』の上にあるんだ、という意識が陸軍では強かったんだ。」
一方、海軍でも情報士官の待遇は同じようなものでした。
「戦前の日本海軍では、情報関連部署に配属された士官は、『腐れ士官の捨て所』と自嘲さえしていたという。
たしかに太平洋戦争での日本海軍は、全般的に情報を軽んじていたといわれても仕方がないだろう。
日本陸軍も情報を軽視気味であった。陸海軍とも日露戦争当時の情報に対する真面目な姿勢は見られない。」
さらに海軍では暗号に関しての教育はほとんどなされておらず、海軍通信学校ですこしばかり教育した程度だったと言われています。
そして艦隊の現場では、主計士官や軍医が暗号解読のための間に合わせとして駆り出され、作業をしていました。当然のこととして、作業ミスや遅滞、精度に問題が生じることとなりました。
戦史研究家の福川秀樹氏は、「我々日本人は、『無敵皇軍』『無敵海軍』とすぐテングになり、のぼせ上ってしまう国民性を有しているのだろうか。」と疑問を呈しています。