山本五十六の生涯(18)-ミッドウェー海戦 | 太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


山本長官と宇垣纏参謀長 
旗艦で指揮する山本長官と、後ろは宇垣纏参謀長


昭和17527日、南雲中将率いる機動部隊は広島を出港し、ミッドウェー島へと向かいました。大和を旗艦とする第一艦隊は機動部隊の500km後方にいました。

 

第一艦隊を出撃させた理由は、乗組員に出撃のための特別手当を支給するためで、戦闘に参加する予定はありませんでした。

 

しばらくして大本営から大和へ「敵機動部隊らしきものを発見」の情報が届きましたが、機動部隊の南雲にも届いているだろうとの勝手な憶測で伝達しませんでした。

 実際に機動部隊にはその情報は届いていなかったので、敵空母の発見が遅れてしまいました。

 

65日、午前430分、第一次攻撃隊がミッドウェー島攻撃のため飛び立ちます。「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」の4空母には第二次攻撃隊が残されていました。

 その中の艦攻(注1)には魚雷が、艦爆(注2)には爆弾が装着されていました。

 

注1)艦攻:正式名称は艦上攻撃機。艦船に対し、魚雷攻撃を行う機種の飛行機。

 

注2)艦爆:正式名称は艦上爆撃機。空母に搭載し、急降下爆撃を主に行う機種の飛行機。

 

やがて第一次攻撃隊から「第二次攻撃の要あり」との伝達を受けたので、空母で待機していた艦攻の魚雷を陸用爆弾に付け替えました。

『アニメンタリー・決断』1 艦攻の魚雷(左)を陸用爆弾(右)に付け替える。『アニメンタリー・決断』より


しかし午前8時過ぎ、「利根」の策敵機が空母を含む米艦隊を発見し、「赤城」に緊張が走ります。「大和」からも「敵機動部隊発見」の伝達が届いていなかったため、機動部隊ではミッドウェー海域に米空母はいないのではないかという思いが支配的でした。

 

またこの時点で空母に待機していたのは、陸用爆弾を搭載した艦攻と艦爆だけで、護衛の零戦は全部出払っていました。戦闘機がいないということは、艦攻と艦爆だけで出撃しても、全機撃墜される可能性が高くなるということです。

 

「赤城」の南雲中将は、艦攻の爆弾を再び魚雷に付け替えようとしますが、「飛龍」の山口多聞司令官が反対し、とにかく攻撃を優先することを主張しました。

 しかし南雲らは護衛の戦闘機がいないことを理由に拒否し、また魚雷に兵装転換します。


『アニメンタリー・決断』2 兵装転換:甲板にあった飛行機(左)の翼を畳み(中)、階下の格納庫に下す(右)

『アニメンタリー・決断』3 爆弾を取り外し(左)、再び魚雷を装着する(中)。爆弾は格納庫へ(右)

※以上の画像は『アニメンタリー・決断』から取り上げたもので、実際にこのような手順で兵装転換を行ったのかは検証しておりません。

つまり即出撃ということは、間もなく帰還する第一次攻撃隊を見捨てて海上に不時着させ、駆逐艦に回収させることにもなります。南雲中将らにはそれができなかったと言われています。

 

またミッドウェー島を攻撃するのか、敵空母を叩くのかという本来の目的がはっきりしなかったため、この兵装転換で右往左往することになってしまいました。

 

 そうするうちに第一次攻撃隊も空母上空に戻ってきて収容することになるので、空母内は大変なことになりました。飛行甲板は燃料がつきかけた第一次攻撃隊の帰還のためあけておかねばならず、爆弾から魚雷への兵装転換は、甲板下の各空母格納庫で行われました。

 

 従って最初甲板に上げてあった第二次攻撃隊の飛行機を格納庫に下し、階下で爆弾から魚雷に付け替え、甲板では第一次攻撃隊の帰還を待つことになりました。