我が家の軍事郵便 | 太平洋戦争史と心霊世界

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我が家の軍事郵便
 


 上は実家で見つけた軍事郵便の絵はがきです。戦時中に南方へ出兵した身内がいたので、その人が書いてよこしたものです。

 

どうせ検閲が入るから大したこと書けないので全文載せました。でも達筆過ぎてよく読めない。まるで古文書 (Д@;

 文面は当たりさわりの無い内容ですが、以下何とかわかる部分だけ書きだします。

 「拝啓 ×××恐縮に存じます。その後御家族一同様にはお変りなくお過ごしのことと推察申し上げます。留守中は格別なるご配慮をいただき、有難く存じます。

 小生もその後、至極元気にて軍務上励み×すれば、余事は御放念下さい。(?意味がわからない

 目下郷里は、麻まきの最中と思はれます。」

 

切手欄の下には「検閲済」という四角い欄があって、検閲済みを示す「村田」という印鑑が押されています。

 

文面から見て恐らく昭和19年の春以前に書いたもののようです。彼の所属部隊は「南海派遣暁第六一四八部隊  ×摩隊」と記されています。

 

これは陸軍の所属で「南海」は太平洋諸島、「暁」は暁部隊と言って陸軍船舶兵、つまり陸軍の船舶を運用する部隊でした。護衛艦  

 

海軍の陸戦隊は陸上で戦う部隊ですが、陸軍の暁部隊はその反対で、早く言えば艦を使う海上部隊です。

バタアンにて


 はがきの裏面には「バタアンにて」と印刷されています。バタアンは現在バターンとも呼ばれるフィリピンの地名です。椰子の木

 

 「バタアン」と書いてある絵はがきを使っているので、もしかするとフィリピンに駐留していたのでしょうか。しかし駐在している場所は、機密上普通書かないですよね。

 

暁第六一四八部隊というのをネットで検索してみたのですが、どちらの方面に派遣されていたのか結局分かりませんでした。

 

彼についての伝聞はあまり残っておらず、南方に派遣されたということと、衛生兵らしかったという情報くらいです。復員したのに戦時中の写真もなぜか残っていません。

 

こういう消息は防衛省の図書館へ行けば分かるのでしょうか。 機会があれば詳細も調べてみたいと思います。