山本五十六の生涯(17)-ミッドウェー海戦まで | 太平洋戦争史と心霊世界

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山本五十六と旭日旗 


 ミッドウェー海戦前後に珊瑚海海戦、ソロモン海戦などがありますが、このシリーズが予想以上に長くなってしまったこともあり、これらはまた後ほど個別に扱うことにします。

 

 そんなわけでミッドウェー海戦に入りますが、これについてもネット上に膨大な情報がありますので、なるべく易しく解説することでわかりやすくします。

 

 山本はハワイを攻略して占領し、米国の戦意を喪失させる戦略を考えていました。そのためには、まず最初の足掛かりとして日本とハワイの間にあるミッドウェー島の攻略を提案しました。

 

 この作戦には軍令部が反対して難航していたのですが、山本はまたしても真珠湾と同様に、この案が通らなければ辞任するということをちらつかせていました。

 

そうしているうちに昭和174月、ドゥーリットル空襲と呼ばれる初空襲で米軍機が東京を襲い、あわてた軍令部は山本のミッドウェー攻略に賛成することになりました。

 

こうしてミッドウェー作戦が立てられたのですが、山本と参謀間でのコミュニケーション不足もあり、この作戦の目的が曖昧のまま実行することになってしまいました。

 

つまり、山本はミッドウェー島に侵攻する途中で現われた敵空母を叩くことを作戦の目的としていましたが、その伝達が部下にうまく伝わらず、ミッドウェー島自体を攻略するのか、それにつられて出てきた敵空母を叩くのか、どちらが主目的なのか曖昧になってしまったのです。

 

 この曖昧さが後の作戦の命取りとなってしまいました。

 

 また事前に米軍に暗号を解読されていたため、日本海軍がミッドウェーを攻撃するということと、その攻撃予定日も読まれてしまっていました。