日本組織の欠点は無責任体質 | 太平洋戦争史と心霊世界

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 日本での組織体制は部下から上司へのボトムアップ型で、責任の所在が曖昧になりがちであると言われています。

 

東京裁判を例にとると、裁判での判決はいい加減だったものが多く、上司の罪を部下がかぶって処刑されたという場合もあったそうです。

東京裁判 
東京裁判


 東京裁判についてはまだ詳細を調べていないので、あくまでも推察になりますが、「いい加減な判決」の中にも日本特有の責任の曖昧さが影響し、余計に判決に混乱をきたした部分があったのではないかと疑問視しています。

 

 一方アメリカでは、上司に強大な権限が集まるトップダウン型と言われます。以下、日米組織を比較した話を抜粋して掲載します。

 

  「日本はシステムがすでにがんじがらめにできていて、形式を変えていくことが非常に難しい社会である。責任をだれもとりたがらない割には権限をはっきりさせたい、縄張りをはっきりさせたいなどということが組織の中に見え隠れする。

 

 アメリカは状況が最優先で、組織でも何でも、状況に応じて一人ひとりに絶大な権限が集まるようにつくっていく。

 

 日本は、トップが何人かいると三権分立的にしてあり、絶対に一人だけに大きな権限を持たせまいとし、集中するのを避けようとする。

 

 その中で唯一例外なのは江戸時代の大老というシステムであったが、やはり日本人は毛嫌いし、井伊(いい)大老のように抹殺されてしまう。結局、何人かの老中がいて、談合で決めるというやり方しか、日本人にはそぐなわなかった。」

 

 真珠湾奇襲からミッドウェー作戦にいたる南雲艦隊では、実際には水雷畑であった南雲長官をトップのお飾りとし、航空甲参謀として参画した源田実中佐の影響力が絶大でした。

 

 南雲長官は航空分野には疎かったため、源田の作戦構想はチェックなしのフリーパスで通ってしまい、南雲長官を戴く艦隊は、陰では「源田艦隊」と揶揄されていました。

 

 これについて、淵田美津雄中佐によるコメントが残されています。

淵田美津雄
淵田美津雄中佐


 「これは南雲中将だけではない。当時、わが海軍を通ずる一般現象であった。司令長官は統率の最上段に座っている。大綱だけを握っていればよい。あとの一切は幕僚が策案して、進言する。だから、長官の性格が直接に作戦に反映することは、まずなかった。

 

 これがアメリカだと、指揮官の性格が、そのまま作戦に表れてくる。戦争中、私たちは、こんどの機動部隊はハルゼ―提督が指揮官だと聞いただけで、作戦のやり口が判断できた。

 

アメリカの作戦指導は、指揮官自身の能力で一切の采配を揮(ふる)っているので、幕僚たちはその頤使(いし)に甘んじ、手助けをしているだけである。

 

 ところが日本では、人物が長官の器(うつわ)であれば、南雲中将のように、能力としては水雷のエキスパートであるが、航空にはあまり理解がなくても、もっとも重要な第一航空艦隊司令長官に据える。

 

そして、足りないところは、幕僚で補えばいいとする。だから、自然、幕僚の影響が大きくなる・・・。」

 

 この組織の在り方は今に始まったことではありません。歴史上、お飾りの時代も長かった天皇と、実権を握っていた征夷大将軍との関係にも当てはまります。

 

 以上のように、日本での組織は責任分散型のため、ひいては責任の所在が曖昧になってくるという欠点が目立つようになります。

 

 この悪習は現代においても連綿と続いており、今回の原発事故の場合もやはり同じ状況に陥っています。原子力安全・保安院や東電をはじめ、これまで行ってきたことは犯罪級ともいえますが、誰も逮捕されたり、責任を取ったりした者はいません。

 

 辞任したとしても、東電の清水元社長のように退職金5億円付きなど、到底責任を取ったといえるものではないでしょう。

東電・清水元社長 
東電・清水元社長


 この当事者が責任を取らずにやり逃げするシステム、何とかしないと日本の組織はエゴの掃き溜めになってしまいます。