山本五十六をめぐる女性たち(3) | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


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       映画『SAYURI』より


 夫婦仲はやはり問題があったのではと思わせる逸話があります。長男の義正氏は、山本五十六は開戦直前の昭和16123日、東京・青山の自宅に帰宅し、4日に家を出たのが父との最期の別れとなったと語っています。

 

 山本はその後妻子と会う機会もあったのですが、昭和184月に戦死するまでの約1年半、結局一度も会うことはありませんでした。

 

 例をあげると昭和17513日、「大和」はミッドウェー作戦出撃に備えて、補給と修理をするため、柱島から呉に向かいました。「大和」は呉で6日間在泊するあいだに、乗組員の士官たちは呉へ妻子を呼び寄せて幾日か過ごしました。

 

 これは艦が入港した時の慣例だそうですが、この時山本が呼び寄せたのは、妻子ではなく恋人の河合千代子でした。

 

 またミッドウェー海戦直前の527日付けで、山本は千代子宛にあてた手紙の中で、「うつし絵に口づけしつつ幾たびか千代子と呼びてけふも暮しつ」という句を送っています。

 

 「うつし絵」とは写真のことで、つまり千代子の写真にキスしているということです。もうすぐ大変な海戦がはじまるというのに、恋愛ボケというか、どうもこの辺はいただけません。気合いが入っていない感じがします。

 

 昭和171228日に、山本は「恋人」千代子宛に

 

 「方々から手紙などが山もごとく来ますが、私はたったひとりの千代子の手紙ばかりを朝夕恋しく待っております。写真はまだでしょうか。」

 

 と記しています。戦場で大勢の命を預かる長官として、本当に大丈夫ですかと言いたくなるような内容です。

 

 「山本五十六は人に対する好き嫌いが激しく、馴染みのない人間には容易に打ち解けようとはしなかった半面、信用した相手には感情をぶちまけ、情熱的に生きずにはいられない性格だった。」

 

 と山本が「情の人」であったことが、女性関係でもよく示されています。慕ってくる人間には目をかけ、嫌いな人間にはぶっきらぼうで口数も少なかったといわれています。

 

海戦などの作戦は技術ですから情でなく、合理的な思考と判断が必要なのではないでしょうか。山本の情に流される性格、無口で相手が納得するまで説明しようとしないコミュニケーション力の悪さは、参謀との関係を悪くし、よりミッドウェー海戦を失敗に招いたといわれています。

 

山本五十六の研究者は男性ばかりで、愛人に関しても山本を同情的に弁護する人がいましたので、私の場合は辛口になってしまったかもしれません。