
「山本五十六の生涯」は結婚のところまで行きましたので、ワイドショーではないですが、3回に分けて山本五十六の妻や愛人などの女性関係を通して山本の性格を見ていきます。
山本には愛人として、これまで2人の芸者が知られています。一人は1918(大正7)年の結婚の少し前の少佐だったころ、佐世保に出張し、6年前から顔見知りであった16歳年下で18歳の芸者、鶴島正子と愛人関係を結びました。
その後二人は3年とか5年とか会わない状態が続きましたが、文通は欠かさず、山本が1943(昭和18)年に戦死するまでに正子が受け取った山本の手紙は、スーツケース一杯になりました。
正子は山本の同僚たちから「山本の初恋の娘」と呼ばれ、美人で茶目っけもあり、いつまでも山本一人を慕い続けていました。山本も正子に手紙や品物を送り、頼まれごとがあれば必ずかなえてやりました。
1934(昭和9)年から山本は、20歳年下で30歳の新橋芸者、「梅龍」こと河合千代子にのめりこむようになりました。
千代子は色気があり天衣無縫な性格で、ある財界人をパトロンにしていました。パトロンも山本と千代子の仲を知っていましたが、なぜか何も言わなかったそうです。山本と千代子の関係は10年続きました。
山本にするときまじめな正子より猫のようなタイプの千代子のほうが好みだったようですが、彼は最後まで正子に冷たくすることは無かったといいます。
山本は1918(大正7)年に三橋礼子と結婚したので、正子とは結婚前からのつきあいだったことになります。