
如月中尉のキャリアの詳細を考察してみました。

中国大陸を縦横無尽に動き回る如月中尉(ジパング・20巻)
1931(昭和6)年の満州事変以前でも、日本人は当時の中国の旅順、大連などの都市に大勢住んでいました。

尋常小学校を卒業後、13歳になる年に旧制中学に入学しましたが、1929年の世界恐慌のあおりで、家庭の事情から中学を続けられなくなり、内地へ帰って15歳で海軍の海兵団に入団しました。
当時の旧制中学は5年制で、現在の中一~高二に相当します。

当時の旧制中学の学生たち
なんかやけに凝った経歴になってしまいましたが、(^_^;) この時代の人々は小学校卒も多く、中学進学者は当時エリートでした。
海軍では階級ごとに何年と言う就業年限があるのですが、詳細が不明だったため、海軍での経歴は実際に特務士官だった方の経歴表を参考にしました。
例えばゼロ戦パイロットで撃墜王・坂井三郎氏は佐世保海兵団入団から少尉任官まで、11年3カ月の年月がかかっています。

「大空のサムライ」坂井三郎
しかしこれはスピード出世で、通常はポツダム昇進・戦死を除いて入団から少尉になるまで15年や16年かかるのが普通です。
「ポツダム昇進」とは、恩給額をできるだけ上げようとのことで、軍人の階級を終戦直後に1階級昇進させた制度です。
如月中尉は優秀だったので、最短キャリアにして、15歳の海兵団入団から中尉昇進まで13年間としました。
海軍志願者の年齢は普通17歳以上からなのですが、通信兵に限って15歳以上からでした。入団後数年経つと専門教育を受ける必要があり、如月の場合は17~19歳まで海軍通信学校で学んでいます。
映画『トラ・トラ・トラ』より
また准士官の兵曹長に任官すると、優秀者は江田島兵学校の専修科で約1年間学び、士官となる教育を受けます。この制度は戦時中になると中止されたようです。
如月の場合も優秀だったため、 25歳の兵曹長任官直後に兵学校へ入学し、26歳で卒業としました。
兵曹長の第一種軍装(映画『連合艦隊』より)
戦時中は昇進が早まったのか、特務士官でもポツダム昇進と戦死を除き、少尉任官から1年後に中尉となっている人も見られました。
如月のケースは兵学校卒業1年後に27歳で少尉に昇進、さらに1年後の「みらい」がミッドウェーに出現した昭和17年、28歳になる年に中尉に任官されたとしました。
以上で、昭和17年にジパング・7巻で初登場時の如月中尉は、当ブログでは28歳という年齢に設定しました。
戦後はいつからかわかりませんが、1957(昭和32)年に、アメリカ在住の角松と再会した時には、中島物産の産業事業本部に勤務しており43歳になっていました。名刺の肩書きは主任で、住所が千代田区とあるので東京かその郊外在住でしょう。
担当は国防軍(現代世界では自衛隊)で「肩書きは変わってもやっていることは同じようなものです」と語っているので、業務内容は軍事関連の調査やリサーチなどでしょうか。
なお『ジパング』では終戦が1944(昭和19)年10月となっています。