『一海軍特務士官の証言』での著者、二藤忠氏は特務士官への不当差別に憤慨し、記録に残しておこうと思い立ったそうです。では特務士官はどのような待遇を受けていたのでしょうか。
【昇 進】
「特務士官と言う制度は陸軍にはなく、海軍にだけ存在していた。陸軍については、私は縁が薄く知るところが少ないが、陸軍においては幹部候補生試験さえパスすれば、陸士出の将校に比して、それほど遅れることなく進級していったようである。
例えば、私より4年も後輩、昭和6年に現役志願した者が、幹部試験をへて終戦時には少佐になっていた例が数多くある。
他方、海軍ではどうか。じつにはずかしい話だが、わかりやすく説明するために、私自身の例をあげる。
私が海軍に入ったのは昭和2年6月、准士官に進級したのは15年5月1日、少尉任官は18年4月1日だった。つまり准士官になるまで12年11カ月、少尉任官までは、それから3年間、入隊から数えて約16年要したことになる。
ところがエリート士官のほうは、兵学校、機関学校の教育機関は約3カ年、士官候補生期間が1年弱(平和時と戦時では、その期間に長短があったが)、つまり少尉任官までに約4カ年ですんだ。私の4倍のスピードというわけである。」
【給 与】
給与面ではエリート士官の同階級者の若者より高額でした。「これは人間として社会生活の必要上、当然のことである」との筆者の弁です。恐らく勤続年数が長くなるにつれ、色々な手当もその分増額されるのでしょう。
しかし恩給額が、終戦時の実際の給与額を基準に算出すべきであるのに、階級別の仮定棒給額をそのままあてはめ、さらにその額の定め方はエリート士官には大幅にアップさせ、特務士官には規定額を下回るという差別が行われたと糾弾しています。
つまり現代で言えば、基本給20万円の上に勤続手当や扶養手当、資格手当などが加算されていたのに、恩給では手当を除いて基本給のみで計算されたということでしょう。
【親が息子に朝晩敬礼】
「私が館空時代の昭和5,6年ごろのことであった。甲板士官をやっていた老特務少尉がいた。そこに赴任してきた若い搭乗士官の大尉は、おどろいたことにその甲板士官の息子さんだった。
わが子に朝晩敬礼する姿は、どうみても格好のいいものではなかった。というより、人間の道としても、どうかと思えたのである。」