客観的に物事を見ることが大事だと思っている人が世の中には多いが、実は主観的に生きることも同じかそれ以上に大事だと気付いている人は意外に少ない。
どうして主観的であることが大事なのかと言うと、この世界が我々個人に押し付けてくる思い込みに洗脳されない為だ。
この世界には様々なネガティブな洗脳がいっぱいある。「おまえは価値のない人間だ」「おまえは愛されない人間だ」「コミュ障だ」「無力だ」などなどがある。それらは全て洗脳であり、信じてしまえば洗脳は本物になってしまう。
ちょっと分かりにくい例えになってしまうかもしれないが、私は実例よりだいぶ若く見られるタイプで、実際は30過ぎなのだか大学生と勘違いされる様な容貌をしている。大抵は学生と間違えてくるのだが、しかし面白いことに実齢を明かした後だと人によって見え方が変わるようなのだ。やっぱり学生並に見えるという人もいれば、二十代後半という人もいるし、年齢通りに見えるという人もいる。
そして、それらは全て真実だ。何故なら全ての人がみんな違った世界を見ているからだ。人の目には網膜というものがあり、視界の30%は目で直接見たままでは無く、脳内で補完した世界を見ている。受け取った情報でその人の脳内でどんな情報処理が行われるかは人それぞれなのだから、見え方は違って当然だ。
結局何が言いたいのかというと、自分が自分自身をどう感じるかが大事ということだ。他人に自分がどう見えたかを一々気にしていたら、この世界の思い込みに負けてしまう。
イエスは「私はこの世に勝った」といったが、これがどういう意味なのかと言うと、この世界の思い込みに洗脳されなかったということだ。「私は神の子である」と言い出したイエスは「おまえは只の人間だよ」や「おまえは大工の息子だよ」という世界の思い込みに負けなかった。イエスは完全に主観的に生き、本当に神の子となった。彼は主観的に生きるということの結果を体現して下さったのである。
自分がどういう目標に達したいのかを考え、そしてそれは既に達成しているあるいはしつつあると観じ、確固として主観的に生きるなら、いつか理想の自分という目標に到達できる。