おはようございます。今日はいい天気ですね。
今さっきちょうど本を読んでいました。

さて、今日もイエス様の事についてお話しようと思います。

イエスは唯一まことの教会を組織された

なぜ救い主は御自分の教会を組織し,使徒を聖任されたのでしょうか。

イエスは世界中の人が福音を学ぶことを望み,御自身を証する12人の使徒をお選びになりました。使徒は主の教会における最初の指導者です。

イエスの名により働く権能を受け,イエスがなされたのを見たその同じ業を行う権能を受けました。使徒から権能を受けた人々もイエスの名により教え,バプテスマを施し,その他の儀式を執行することができました。

イエスの死後も,使徒は主の業を引き続き行いましたが,やがて世の人はひどく邪悪になり,使徒たちを殺してしまいました。

イエスはわたしたちの罪を贖い,死から救ってくださった

十字架につけられる前の夜,イエスはゲツセマネと呼ばれた園へ行かれました。間もなく,イエスは深い悲しみに襲われ,祈りながら涙を流されました。

末日の使徒オーソン・F・ホイットニーは,このときの救い主の苦しみを示現で見ることを許されました。救い主が泣かれるのを見たホイットニー長老は,次のように語っています。

「わたしはその光景に感動し,純粋な同情の気持ちから自分も泣いた。心はすっかり救い主に注がれ,わたしは真心から救い主に愛を抱き,ほかには何も要らない,ただ救い主のそばにいたいと切望した。」

イエスは,「少し進んで行き,うつぶしになり,祈って言われた,『わが父よ,もしできることでしたらどうか,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし,わたしの思いのままにではなく,みこころのままになさって下さい。』」(マタイ26:39)

現代の啓示の中で,主はその苦しみがいかに大きなものであったかを述べておられます。その苦しみは,主が「苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。」(教義と聖約19:18)

主はわたしたちの苦痛と病,弱さ,罪を身に受け,「肉において」苦しまれました。死すべき人間には,この重荷がいかに大きなものであったかとうてい理解することはできません。

だれ一人としてこのような肉体と霊の激しい苦しみに耐えることはできなかったでしょう。「〔イエス・キリストは〕万物の下に身を落とし,それによって……万物の中にあり,万物を貫いてあり,真理の光となった。」(教義と聖約88:6)

しかし,イエスの苦しみはそれだけでは終わりませんでした。翌日イエスは,打たれ,あざけられ,つばを吐きかけられました。自身の十字架を背負って運ばされ,十字架にかけられ釘くぎを打ち込まれました。

イエスは人が考え出した最も残酷な方法の一つで,激しい苦しみに遭わされたのです。十字架上で苦しまれた後,激しい苦痛の中でイエスは叫ばれました。

「わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マルコ15:34)

イエスが最も堪え難い苦痛の中におられたとき,御父はイエスのみもとから身を引かれました。イエスは全人類の罪に対する罰に苦しむのを終えることができ,それにより罪と死の力に打ち勝ち,完全な勝利を得られたのです。

救い主は御自分の犠牲が御父に受け入れられたことを知ると,「すべてが終わった」(ヨハネ19:30),「父よ,わたしの霊をみ手にゆだねます」(ルカ23:46)と声高く叫んで言われました。

イエスは首を垂れ,自ら息を引き取られました。救い主が亡くなられると,激しい地震が起こって地が揺れ動きました。

何人かの友人が救い主の遺体を墓まで運び,亡き骸はそこに3日目まで横たえられていました。その間イエスの霊は出て行って,福音を聞く必要のあるほかの霊たちへの伝道活動を組織されました。

3日目の日曜日に,イエスの霊は体に戻り,再び肉体をまとわれました。主は死を克服した最初の人となられ,「死人のうちからイエスがよみがえる」という預言は成就したのです(ヨハネ20:9)。

救い主は復活後間もなくニーファイ人に御姿を現し,アメリカ大陸で教会を設立されました。主は人々を教え,祝福されました。この感動的な出来事は,,第三ニーファイの第11章から28章に記されています。

主の犠牲は,御父とわたしたちに対する主の愛を表していた

イエスは次のように教えられました。

「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば,あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネ15:13-14)

イエスは自ら進んで,しかも謙遜に,ゲツセマネでの悲しみと十字架上の苦しみを堪え忍ばれました。わたしたちが救いの計画のすべての祝福を受けられるようにするためです。

この祝福を受けるためには,主のみもとに来て,自分の罪を悔い改め,心を尽くして主を愛さなければなりません。主はこう言われました。

「わたしがあなたがたに告げた福音とは,次のとおりである。すなわち,父がわたしを遣わされたので,わたしは父の御心を行うために世に来た。

父は,わたしが十字架に上げられるようにと,わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で,わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。……彼らが各々の行いに応じて裁かれるようにするのである。

……わたしがするのを見たその行いを,あなたがたもしなさい。

……したがって,あなたがたはどのような人物であるべきか。まことに,あなたがたに言う。わたしのようでなければならない。」

救い主があなたのために犠牲を払われたことを考えるとき,どのような気持ちがしますか。

イエス様の贖いは私たちじゃ考えられないほど過酷なものだったと思われます。でも天のお父様は自らの独り子を賜ったほどこの世を愛しておられました。

私たちもイエス様とはいわないですが、イエス様のように振る舞って行動できたらいいですね。

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 ヨハネ13:34