ネット上の諸々情報〈ランボー〉❗️ | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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韓国ミュージカル
全ては自分の予習復習のため
(注意: 目標はネタバレ100%)
近頃はメモ付き写真アルバムとしても使用中。

何はともあれウィキを見ないと。関連部分を抜粋。


ポール・マリー・ヴェルレーヌ

1844年3月30日 - 1896年1月8日

多彩な韻を踏んだ約540篇の詩を残す一方で、破滅的な人生を送った。
放埒な生活は生涯なおらず、貧窮のうちに施療病院で死んだ。

(25歳)18歳の美少女マチルド・モーテと婚約し翌年挙式。


(27歳)長男ジョルジュ誕生。16歳の少年ランボーから手紙を受け、その詩心に感心して交際する。


妻に乱暴を繰り返した上で彼と同棲し、イギリス・ベルギー・北フランスを転々とする。母と妻が説得に来ても置き去りにして逃げ、妻に絶縁状を書く。


(28歳)ロンドンで病臥し、母を呼ぶ。経済的支援も受ける。


ホテルで口論となったランボーを拳銃で2発撃ち、1発が手首に命中した。この騒動により2年間収監される。

妻の別居請求が認められたことを獄中で知り落胆。


(31歳)出獄後、元妻との和解を図る一方、旅先でランボーと格闘する。


その後の生涯について『教職と美少年』の項に書かれているが、まあ懲りないというか、呆れた人物なので、ミュージカルのロマンを壊したくなかったら読まない方が良いかも。ネガティブ

キム・ギョンス演じるベルレーヌの煮え切らなさは、その辺の人物像の表現だろうか?




アルチュール・ランボー

1854年10月20日 - 1891年11月10日

早熟な天才、神童と称された彼は、15歳のときから詩を書き始め20歳で詩を放棄するまでのわずか数年の間に、詩の伝統を大きく変えた。


自己を拘束するすべての既成概念、常識、因習を捨て去り、意味に反する意味を模索し、未知を体系的に探求し、精神・道徳・身体の限界を超えるべきであるとし、ダダイスム、シュルレアリスムへの道を切り開いた詩人である。

詩人は、あらゆる感覚の、
長期にわたる、途方もない、
筋の通った乱用によって、
おのれを見者に作り上げるのです。
あらゆるかたちの愛や苦悩や狂気でね。
自分自身を探求し、自分の中で
いっさいの毒を汲み尽くし、
その精髄だけを残しておくのです。
これは言語を絶する苦悩ですよ。
その場合彼には、欠くるところなき信念と、
あらゆる超人的な力が必要になる。
そして、何よりもまず、
大いなる病者、大きなる罪人、
大いなる呪われ人となる、

—そして、至高の知者になるんです。

―だって、彼は、
未知のものに到達するんですからね!

—彼が未知のものに到達し、
そしてそのとき狂乱して、
自分が見たものについての
知的認識能力を失ってしまったとき、
はじめて彼は、
それを真に見たと言えるのです

アルチュール・ランボー 著、粟津則雄 訳「解説」『ランボオ全詩』思潮社、1996年。

軍人の父は不在がちのうえ、ランボーが6歳の頃から家に戻らなくなり、母は女手一つで4人の子を育てた。ランボーは幼時に、この厳格・勤勉で気位が高く、非常な敬神家であった母の影響を強く受けたとされる。(父は母の性格が嫌いだったらしい。)


1871年9月中頃、ランボーが送った手紙にヴェルレーヌから返事が届いた。ランボーの才能を見抜いた彼は「やって来たまえ。偉大な魂よ、われらはきみを呼び、きみを待つ」とパリに来るよう勧めた。手紙には高踏派の詩人たちから集めた旅費が同封されていた。こうしてランボーは「酔いどれ船」を携えて早速上京し、ヴェルレーヌの義父母のもとに身を寄せることになった。このときランボーは17歳であった。


ヴェルレーヌ、バンヴィルと知己を得たランボーは、さらに二人が参加する「ヴィラン・ボンゾム(お人好しの破廉恥漢ども)」の前衛芸術家・文学者らと知り合ったが、ランボーの粗暴な振る舞いが原因でグループから追放された。


一旦帰郷したランボーはまもなくパリに戻り、ヴェルレーヌとともにベルギー、ロンドンを放浪した。情熱的で波乱に満ちた関係の始まりであった。


という具合で、ミュージカルは事実をうまく吸い上げているものの、『ブリュッセル事件』の項目あたりを読むとなかなかの修羅場が続いたようで、現実はそう美しくはなさそうだ。


・(7/3) ヴェルレーヌ、ランボーの嘲笑的な言葉に腹を立て、突然部屋を飛び出す。ランボーとの関係を終わりにして妻のもとに帰ることを決意。無一文のランボーを一人、船着き場に残し、アントワープ行きの船に乗る。

・ブリュッセルからロンドンのランボー宛に別れの手紙。妻と復縁できなければ拳銃自殺するつもりと書かれていた。

・(7/8) ランボーはブリュッセルに向かい、彼に再会。ヴェルレーヌと別れて一人パリに戻るつもりだと伝える。

・(7/10) ヴェルレーヌは酔った勢いでランボーに向かって拳銃を2発発砲し、1発がランボーの左手首に当たった。ヴェルレーヌは逮捕され、ランボーは弾丸摘出のためにサン=ジャン病院に入院した。


事実(ファクト)と創作(フィクション)が巧みに絡み合った「ファクション」であることがよく分かる!

ミュージカルの内容で、ベルレーヌが発砲する前、妻がドアをノックするシーンのランボーの言動が理解しにくかったのだけど、上記の事実を反映させると、納得がいくというか…それが正しいのかは分からないけど。



❗️があるのは例のお知らせ…ということで、こちらへ!

INDEX 2




以下はナンバー訳の下にメモっておいた詩に関する参考サイトとその抜粋。

(一部抜粋)


ランボーは詩の革新者で、伝統的な詩法を守らないことがよくあった。

 

ヴェルレーヌも、この詩の中で、韻を無視している。なぜそうしたのか?「何よりも先に音楽を」が、ヴェルレーヌの主張だった。伝統的な規則を破っても、自己の主張をする。

 

これはランボーの影響だろう。

涙あふるる我が心(ヴェルレーヌ)

 

我が心に降るは涙

巷に落ちる雨のように

それはなんという物憂さが

我が心に染み入ることか

 

かの雨のやさしき響きは

地上を這い 屋根を伝う

疲れ果てたる我が心に

やさしく響く雨の歌よ

 

涙は降る わけもなしに

うつろとなった心のうちを

裏切りの気持ちはなきや

この悲しみはどこからきたる

 

涙のわけを知らずというは

このうえなくつらきことなり

愛もなく 憎しみもなく

我が心は痛みに満ちたり

母親と共にランボーが家に戻ったあとの寂寞感を歌ったんだとか。




(一部抜粋)

 

1871年8月、(ランボーは)ヴェルレーヌに手紙を書き、パリで彼と会い、二人の激しい関係が始まる。

伝説としては、ヴェルレーヌが、送られてきた「酔いどれ船」を読んで感激し、ランボーをパリに呼び寄せたといわれている。その真実のほどはわからない。

とにかく、上京したランボーが、9月下旬の詩人達の集まりで「酔いどれ船」を読んだということが、事実として伝えられている。

 

その時、ランボーは18歳になる直前。それまで彼が目にしたのは、故郷のアルデンヌ地方からパリまでの限られた光景だけ。海を見たことはなかった。シャルルヴィルを流れるムーズ河が、「酔いどれ船」の大海原の源だっただろう。

 

ランボーの想像力は、現実を前にして疾走し始め、留まるところを知らなくなる。何を見ているのか、何を空想しているのか分からず、現実と非現実の境目が溶けてしまう。酔いどれ船の旅は、疾走する想像力が描く幻影(=現実)なのだ。

 

 

 

(一部抜粋)


「母音」はしばしば、「見者の手紙」で表明された詩法に基づいて実現された詩だとみなされる。

 

A 黒、E 白、I 赤、U 緑、O 青:母音、

いつの日か、お前たちの潜在的な誕生を語るだろう。

 

全ての感覚に開かれた言葉とは、音、リズム、文字の形が聴覚や視覚に訴えかけるものと理解できる。しかし、そこには留まらず、味覚や臭覚、触覚にも働きかけることをランボーは想定している。

 

ランボーは最初こうした世界を共感覚的に捉え、A=黒の世界を描いた。
二番目の4行詩では、Eを純白(candeurs)、Iを緋色(pourpres)に固定し、パルナス派やロマン主義の詩的世界として提示。そこで表現されたのは、過去の詩であり、ランボーが超えようとした詩だった。

 

それに対して、次の六詩行は、言葉の錬金術の実験。
注意したいことは、それら二つの間に断絶があるのではなく、感覚を錯乱させるという意味ではボードレール的であり続けるということ。

 

「母音」は、「言葉の錬金術」の中でランボー自身の言う「めまい」(des vertiges)が定着された世界だ。私たちの通常の感覚が乱された結果であるその錯乱が、全てを終わらせると同時に新しい出発を発動し、読者に命の水を与えてくれる。

 

ランボーがドラエに「この詩がわかるのか?!」と驚くのも当然かも。アセアセ

 

 


(一部抜粋)


(初期の)ランボーは「理想の美」を追い求めるのを真の詩人とみなした。

 

「感覚」の中で、「私」の感じる幸福感がこれから実現されるはずの「理想」であり、15歳の少年詩人がその感覚に「美」を見出したことを示している。

口を開くこともないだろう、何も考えないだろう。

そのうち、無限の愛が、ぼくの魂の中に昇ってくるだろう。

ぼくは遠くに行くだろう、とても遠くに、放浪者みたいに、

「自然」の中を通って。


 


(一部抜粋)


最も高い塔というのは、詩人が立て籠もる象牙の塔を思わせ、世界から孤立した場所を連想させる。


 

人が夢中になるのは、ニルヴァナあるいはエクスターズの時。
主体と客体が溶け合い、時間が消滅し、今の瞬間が永遠になる。

 

精神が錯乱する中、若い詩人がその時に呼びかけるのは、世界から最も遠いところにある塔の中。
世界に別れを告げ、彼は塔に身を潜め、「時よ来い」と念じる。

 

では、なぜ彼は塔に籠もるのか?

これほど我慢したんだ。

だから、永遠に忘れてやる。

恐れも、苦しみも、

空に飛んでいった。

不健全な渇きが、

ぼくの血管を暗くする。

 

時よ来い、時よ来い、

陶酔の時よ、来い。

ランボーの詩らしく、具体的なことは何もわからない。
彼は言葉をまき散らし、その言葉が素晴らしく音楽的で、新鮮で、若々しい勢いに満ちた詩句になっていく。

 

この詩が書かれた時、彼はヴェルレーヌと一緒にブリュッセルやロンドンで、常識的な視点から見れば、錯乱状態の生活を送っていた。

 

彼は、陶酔の時に呼びかけ、我を忘れることができる時が来くることを望む。

 

その忘我の高揚(エクスターズ)が得られるのは、最も高い塔の中。

 

ランボーは、忘我の願いをリフレインに込め、「最も高い塔の歌」を口ずさむ。その間だけは、エクスターズに達しただろう。

 

実は、2人が破滅的な生活をしている時期に書かれたそうだが、ランボーがベルレーヌに会う直前の、最高の高揚感を味わえるシーンに

「時よ来い、陶酔の時よ、来い」と歌い上げられるのは、観客的にはエクスターズである。