資料〈ホーリーイノセント〉 | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

韓国ミュージカル
自分の予習復習用につき、かなりの偏りあり
(注意: 目標はネタバレ100%)
メモ付き写真アルバムとしても使用中

12/8のマッコンは目前、かつ需要は無さげながら、やはり書いておかないと忘れがちなので公式Xを今更まとめ。超人気作には程遠いが、1960年台のパリを舞台に美しい男女が妖しい関係を繰り広げつつ成長していく過程を美しい音楽で綴る、目と耳にとても嬉しい作品。(何なら成長しないでずっと妖しい雰囲気を維持してくれても私的には構わないのだが)

 

 

 

背景1

「既存の無声映画や有声映画を見てきた世代が新しく始めた抵抗」

ヌーベルバーグ(新しい波)

 

 1950年代末フランスで始まった映画運動。

 固着していた既存ジャンルのルールを打破し、映画的慣習を破りながら作家個人の映画を追求する傾向で、強要された道徳観念を拒否し、映画的形式の自由奔放さを追求した。

 実存主義的哲学をもとに現実を密着表現し、即興演出と自然光、手持ちカメラなどを活用したリアルな映像を特徴とする。

 

 ヌーベルバーグの発生に最も大きな影響を与えたのはアンドレ・バザンと雑誌『カイェ・デュ・シネマ』で、これを足がかりにしてフランス映画界には新しい若者が殺到することになる。

 代表作としてはフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』、ジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』などがある。

 

 

ヌーベルバーグの監督たち

ヌーベルバグを率いた主要人物で、既存の安易な映画慣習に対抗する文を書き、監督の個人的な霊感とビジョンを投与する方式とスタイルを論説した。

 

 

68革命とヌーベルバーグ

1968年2月、

シネマテーク・フランセーズの

アンリ・ラングロワ代表職解任

 

 代表選任権を持っていた政府がラングロアを解任し、運営陣を交代させると、映画人たちは政府に嘆願書を送り、デモを行い、トリュフォーとゴダールなどヌーベルバーグの監督たちはカンヌ上映館を占有して映画祭を中断させる。

 このようなデモの末に政府の降伏でラングロアは復職し、シネマテークは独立性を守ったが、この事件は同年5月に始まった68革命の導火線の一つになる。

 

 ヌーベルバーグは映画文法の革新を導き出した映画運動であるだけでなく、政治的自由主義と脱権威主義を志向したフランスの政治・社会的運動の結果であり、同伴者であるという事実を知ることができる。

 

 

背景2

人が生きる世界、人間らしい人生

フランスの68革命と 世界の68革命

 

フランスの68革命:1968年5月フランスで学生と労働者が起こした社会変革運動で、5月革命ともいう。

 

1968年3月アメリカのベトナム侵攻に抗議して「アメリカンエクスプレス」のパリ事務室を襲撃した大学生8人が逮捕されると、その年5月彼らの釈放を要求する学生たちの大規模な抗議デモが連続的に発生した。

 

68革命は何より資本主義生産体制を超え、その消費体制の物神主義、物質崇拝、人間疎外に抵抗の焦点が当てられた。過去の強圧や搾取による人間統制とは異なり、後期資本主義は世論操作と操縦を通じて穏やかに人間を支配することができたが、これが満天下に暴露され抗議の波は激しくなった。

 

 

フランスから世界へ

ここに労働者のゼネストが重なり、権威主義と保守体制など既存の社会秩序に強力に抗拒する運動がフランス全域に広がり、これは男女平等と女性解放、学校と職場での平等、米国の反戦、ヒッピー運動など社会全般の問題に拡大した。

 

デモ隊は、政府が大学教育問題と欧州共同体体制下での社会問題を解決することを要求した。

68革命はフランスだけでなく、米国、日本、ドイツなど国際的に広がった。

 

日本の全学共闘会議運動、イタリアのゼネスト、チェコスロバキアのプラハの春、ポーランドの騒乱事態なども、同事件の直接·間接的な影響下に置かれている。

 

 

68革命の最後

社会の中枢を成していた既成世代は68運動に同意せず、68運動の当事者たちも、毛沢東主義、トロツキー主義、自由主義、無政府主義など、さまざまな思想的多様性のため、志を果たせず、次第に分裂する様相を見せた。

 

短期的には68運動は失敗したが、長期的には学制システムの改革、保守的社会雰囲気の自由化、性解放論の登場、環境主義の主要政治思想への台頭、特に欧米社会を数百年間支配してきたキリスト教イデオロギーが次第に崩壊し、世俗主義が定着するなど、その影響は甚大だった。