花、星が… “지나”はどう訳すべきか迷いつつ…。
「花に生まれて星になる、すべての人々のための物語」
「人は皆、誰かに愛を渡し、心を渡し、いつか苦しみもし、そして、別れる時もある」
劇団「公演配達サービス カンダ」の20周年パレードの3作目とのこと。
ここで紹介してる。
7/3
何となく面白そうかな〜と思い選択し、こういう、よく知りもしない演劇まで拾うから大変になるので、今後はいたずらに観劇を増やさずスリム化を目指そう…などと考えていたら…
すごい良かった驚くほどに。
ほのぼのストーリー?との予想を裏切って、誰でも負うかもしれない傷や、直面できない死別、後悔、そこからの再起が扱われていて、大変感動した。
フィジカルシアターの魅力をたっぷり詰め込んだ演出もユニークで目を奪われた。
兄とハルモニの介護生活が描かれる。少女のようになってしまった認知症の祖母が、逆にアクロバティックな動きをして、特異な存在感を醸し出したりする。
面白くもあり、疲れるし辛くもあるが、結局は幸福な介護生活。
ミホの友人ジウォンは誰が見ても可愛い女の子。同じくミホの友人であるヒミンは「後ろ姿さえ可愛い!」とメロメロで、意外なことに彼の告白を受け入れるジウォン。
告白騒ぎや2人のデートシーンは、微笑ましくて笑いが絶えない。
ある日ヒミンはジウォンが既婚者であるバイト先のオーナーと付き合っていたことを知り、それが事実か彼女に尋ねる。ためらいがちな口調にも隠しきれない非難のトーン。
「オーナーは独身だと偽っていたから、不倫だなどと全く知らずに付き合っていた。『なぜそんな事をした?』と私に聞くのは何故なのか!非難されるべきなのはオーナーで私は被害者なのに、なぜいつも私が責められなければならないのか!」
叫ぶジウォン。彼女はその可愛さゆえに、高校の教師からも特別扱いを受けたりした。もちろん教師の目の中にある種の醜悪さを感じ取り、傷ついていた。実は義父から性的虐待を受けていたが、母親はそれを信じなかった。家を出た彼女に、母親は許してやるから帰ってこいと言い続けた。
ヒミンと別れた彼女は枯れていった。それが、植物になったジウォンが萎れて枯れていくように表現される。
ミホは学生時代怠けて眠り込んでいた時、鬱病の母親が隣の部屋で死んだことがトラウマになっている。だから祖母の面倒を兄に委ね、遠く離れた済州島で花屋を営んでいるのだ。常に付きまとう自責の念。その上ジウォンまでミホに電話した後に自殺してしまう。
天寿を全うした祖母。綺麗事だけでは済まない介護生活の中でも、少女のようなハルモニとの暮らしは楽しかった。それは本当だ、もう自分を責める必要はない、肩の荷をおろせと語る兄。
ジウォンの葬儀場。ミホは、焼却場の前で父を送り出すために歌い別れを告げる少女を見かける。自分は母親を送り出せずにいるから、別れの挨拶もしていないと気づく。
ジウォンに語りかけ謝り、母親を送り出して、少しづつ立ち直っていくミホ。静かで深い感動に包まれる作品だった。
席が無かったのか?ケチって買ったのか?前が車椅子エリアだから選んだのかも。(スコン1館C15列)
さえぎるものは何もないが舞台が遥か下。興奮してスタオベしたら踏み外して、転がり落ちそうでコワイ。
8/17
きょうのハルモニ役は「イダアヤ」さん。日本人?ハルモニが急に日本語を話し始めるシーンがあるのだが、良く聞く韓国訛りの日本語。でもわざとらしい気もする。(気のせい?)
ダブルキャストを含めて、ドラマで拝見する俳優さんが多い。今日のジウォン役のコ・ボギョルもしかりだが、どこで見た?と聞かれると良く分からない。確かによく見る顔なのに。トッケビに女学生で出ていたり、新しいところでは「白雪姫には死を」で「ずば抜けた美貌の芸能人」役だそうだ。
本日は気合を入れて近めの席だったので、本当に可愛いのが良く見える。その可愛さが足かせとなって萎れていく様子に鬼気迫るものを感じた。
(もちろん前回のジウォン役イム・セミもよく見る女優さんだし、演技も良かったが、なにしろ席が遠いので雰囲気しか伝わってこず。)
8/18がマッコンだったが、永登浦アートホール企画公演として10/5に上演される。(日本人には当日券を狙って行くしか方法は無さそう。)