YES24ステージ3館中、最後の観覧となった〈少年A〉。初観覧から辛い苦しい切ない悲しいと言い続けた割に後を引く作品。
先週マッコンなのに今頃ナンバー訳が完成して、自分の観覧にも間に合わなかった。
開演前は撮影自由。レンガの壁を見ると3館に来たな〜と思う。
7月11日
「ウチの子をこんなに泣かせるのは誰なのっ!出てらっしゃい!!」
という具合に、むやみやたらに犯罪者に感情移入しないよう、細心の注意を払って演出したとの事だけど…偽母はどっぷり感情移入してしまった。
気持ちよく泣かせてくれる切ない物語が好きだけど、単に切ない涙で済ますことのできない作品だ。殺人者を許して社会に受け入れるべきか否か。
罪を償うために罰を受けるので、償ったら罪は消えるのが原則ではないの?
仮釈放だなんてぶっ殺してやる!と住居に押しかけるのはリンチじゃないだろうか。しかも相手を間違えて赤の他人の殺傷事件まで起きてしまう。その犯人はどうなんだ!心情が理解できるとでも言うつもりか?!(誰に怒ればいい?)
法律が不完全なのは認めるが、完全な法律なんて存在し得ないし、それでもその法律に権威を与えているんだから従うべきだと思う。
そもそも他人に彼を許す許さない、そんな権利はないとも思うのである。その権利があるとすれば、被害者の家族だけだろう。
刑を終えてもふてぶてしく反省もしていないならまだしも、心から悔いているなら私としてはチャンスを与えたい。
だいたい彼らをそちらに追いやった周囲の人々こそを罰したい。事件を起こした2人の家族。そして、学校と社会を。つまり悪いのは大人だ。
8月9日
渡韓を追加したので観られるようになった回。
「質問を投げかける作品」に相応しく、涙を拭きながらも頭の中が忙しい。
見ながら付きまとう違和感。犯罪を犯したのは10歳の時。犯罪者を許す、許さない以前に、10歳の子供に責任を問う出発点が納得できないのだと気付く。
ジャックは性格が捻じ曲がってるわけでも、暴力性があったわけでもない。弱くて卑怯かもしれないけど。
ネグレクトといじめの中で生きる10歳が、唯一初めてできた友達に悪い方へ引っ張られた。判断力が足りなかったと責められるだろうか?たったの10歳で?
興味深いのは、ジャックが実際の殺人者である友人に責任転嫁してきたのが物語の大きな要素になっていること。
ちなみに劇中では、彼が実際に殺人に手を染めたわけではなく、一緒にいたのに止めなかったという設定。(でも裁判では友人を孤独にさせないため自分も刺したと言ってしまう。)
ジャックにまとわりつく幻の「少年A」は、かつての友人フィリップであり、ジャック(エリック)本人とは分離した存在の罪の意識だ。エリックの「弁明」と言える。そんな「少年A」を抹殺したのは、彼が正面から自分の罪に向き合う決心をしたからだ。
育て直しと再教育で、罪と向き合わせ反省させること、そして罪を償わせること。最終的に更生させて、まともに生きられるようにすること。日本だったらそうなんじゃないかというイメージを持っている。現実と理想は違うだろうけど。
劇中では15年間も拘束しながら、罪に向い合せることに失敗している。そういう努力が払われたのかさえ良く分からない。
ちょうど出演者との対話の日だった。
物語の終盤に主人公ジャックが舞台に座って、良き理解者であるテリーやクリスの日常をじっと見ているシーンがある。(実際にそこで見ているわけじゃなく、象徴的に見ている感じ。)
その時の気持ちは?という質問の答えが “나만 없으면.” 「自分さえ居なければ 自分の好きなこの人たちはもっと幸せになれるんじゃないか?」と思って非常に悲しくなるそう。
練習の時からあまりに辛いので、演出家にこのシーンからジャックを外して欲しいと頼んだと言う。
対話なのに、哀れで思わず涙を拭いていたら、客席全体もとなったらしく、MCが雰囲気回復に努めていた。
後から舞台のことを考えても、音源を聴いても涙が出がち。(本物の)息子が複数名いるので感情移入せずにはいられないのかもしれない。
少年A/ジェド役のヒョンジン君のお母さんは、テリーの息子ジェドに感情移入してボロ泣きしたそうだ。ヒョンジン君が学生の頃お父さんは海外単身赴任で滅多に帰って来れなかった。それで当時寂しがっていたヒョンジン君とジェドの姿が重なったらしい。
子供がいるかどうか、見る側の年齢によって感想が変わるのか興味ある。
8月18日
またしても、哀しくて、痛々しくて、泣きたくて(泣くんだけども)、それで頭が痛くなる級。この感じは〈ファントム〉とか〈マディソン郡の橋〉に似ている。
大劇場に匹敵する感動を44,700wで。(低俗な中産階級の本性丸出しでお金の話して…悪いか、ボシ!)
しかもマッコン近いので余ったポストカードやOSTまで無料で頂いた。嬉しすぎる。
(無料だからじゃなくて、非売品のOSTだから
)
常に舞台のどこかに存在する椅子。ジャックが移動するとき、彼は必ずこの椅子を持っている。背もたれに「A」の文字が荒々しく彫り込まれていて、絶対にこの文字は消せない印象を与える。
仮釈放された「少年A」が新しく始められるのか、そうしてもいいのか、色々あった後に…
最後ランズエンドの絶壁に立って、次の動作が…ってところで照明が落ちる。この場面では「A」の椅子が絶壁の役割をする。この写真は絶壁に立ったジャックがいなくなった後のシーンと言えるかも。ジャックはどこに行ったのか。結末は俳優とその日の雰囲気と見る側の気持ちで変わり得るので、こうとは言えないそうだけど。
前の2回は
① 両手を翼のように広げて…多分飛び降りる。(一番いたいけな少年ぽかったジウ君)
② 目の前をじっと見つめて…飛び降りるかもしれないし、生き続けるかもしれない。(ドンヒョンさんは、あえて結末を観客にゆだねたいのだそう。)
今夜は
③ 片足を上げて…
「それからまた足を下ろして、深呼吸をして、生き続ける」しか認めないぞ!生きてくれ!
「新しく始めること」は登場人物全員の課題でもある。ジャックにもその機会が与えられんことを!