(あらすじ)
女が文を書くことなど許されなかったビクトリア時代。陰鬱で寂しいヨークシャーの荒野で、3人の驚くべき作家が誕生した。シャーロット、エミリー、アン・ブロンテ。
貧しい牧師の娘として生まれ、死や病気と隣り合わせの厳しい憂鬱な人生だったが、姉妹たちの物語は活気と欲望に満ちていた。幼い頃から悲しみが訪れる時は一緒に想像の中に逃げながら物話を作り出し、姉妹たちは互いに最も頼れる助力者であり原動力になる。
作家になりたくて一緒に本を出すことに決めた彼らは、ある日エミリーが聞いたという野原の声をテーマに話を書いていく。遠い未来で彼らを呼ぶ誰かの声... そして嘘のように、その話通り彼女たちに手紙一通が届く。彼らの死を見守ったという誰かから送られてきた手紙。手紙の正体は何で、なぜここに来たのか。熾烈な人生の中でついに作家になろうとした彼らは、ついに望んでいた未来を得ることになるだろうか。
月曜に普通に上演し、休演が火曜日のスケジュール。たま~にそういう作品を見かける。この作品の場合は掛け持ちの都合もあるんだろうか?真ん中のエミリー役トリプルキャストのうち、2人が〈愛の不時着〉にも出演中だから。
こちらとしては、月曜日でも観られる作品があるのはたいへん助かる。
10月24日
どんより薄暗いヨークシャーの空から落ちる雨。
時々雷鳴も聞こえて陰鬱極まりない。
喪服に身を包んだ一番上の姉シャーロットが妹たちの葬儀の挨拶をするところから話が始まる。いつの間にかその後ろに立ち、囁きあうエミリーとアン。
「誰か死んだみたいね。私か!」
「あんなかしこまった嘘みたいな紹介されたら、天国に入れないかも」
「天国から追い返されたら生き返るのかな?」
喪服に身を包んではいるが屈託なく笑いあう。
そして振り向いたシャーロットと手をつなぎ陽気に歌いながら過去に戻っていく。
3人の生活はヨークシャーの天気に負けず劣らず陰鬱だ。財産の無い女性が生きていく方法は2つ。家庭教師になるか、好きでもない相手と結婚して、子供を産んで、病気になって、死んで終わり。
シャーロットは小説を売ることによって自由な人生を手に入れようとし、自分の文章を人に見せることに乗り気でないエミリーを説得する。
自由な魂を持つ3姉妹は励まし合いながら執筆に励む。
だが、最初に出版した詩集は失敗に終わり、エミリーは書き続ける自信を失う。
荒野で謎の声を聞くエミリー。謎の手紙が届き、シャーロットには利己的な態度を改めないと後悔する、エミリーには自分だけを信じて書き続けろと書かれていた。
確信を得たエミリーは憑かれたように「嵐が丘」を書き上げる。しかし、あまりにも暗い物語は売れないと考えるシャーロットはエミリーと対立し、一番末のアンが取りなそうとするも家を出る決心をする。
フォルテシモで歌っても音楽としての美しい響きが失われないところが素晴らしい。ただ大声でがなり立てるように聞こえてしまう場合も少なくないから。
結局シャーロットの「ジェーン・エア」は成功をおさめ、「嵐が丘」は酷評される。
結核の治療を拒否し続けていたエミリーは亡くなり、一番末のアンも同じく結核で亡くなる。
戻ってきたシャーロットは、求めていたのは3人での成功だと涙し、改めて「嵐が丘」を評価する。私たちの命が絶えても、私たちの作品は文学として残り続けるだろう。
そして、かつて聞こえて来た声と謎の手紙は今の自分からのメッセージだったと気付く。自分に宛てた、傲慢さを改めなければ後悔するというメッセージ。その意味をようやく悟るシャーロットだった。
・・・というようなお話なんだけど。
冒頭の死んだ2人の幽霊?の様子を見ると、苦しくもがき続けた短い人生だったけど、その一生に満足しているみたいなので、どうにか救われる。
鬱々とした人生に立ち向かう3姉妹が、時には愉快に、時には激しく歌うナンバーがとても良い。
クラッシックな題材だが音楽はモダンな感じ。舞台両側の生バンドが素敵。
10月26日
真ん中エミリー役のイ・アルムソルさん。すごいと言う口コミは嘘じゃなかった。壮絶!
イ・ボムソリ、イ・アジンもレベル高いので、緊迫するハーモニーが半端ない。〈ザ・テイル〉以来の戦慄を味わったかも。
シャーロットとエミリーが対立するナンバーは女性同士にもかかわらず物凄い迫力で、ジキハイのコンフロンテーション(対決)を思い出すくらいだった。
10月31日
月曜日だから?再び〈愛の不時着〉のキム・リョウォンさん。(ちなみにもう一人の〈不時着〉はソ・ダン役のキム・イフちゃん。)
シャーロット役のカン・ジヘちゃんは、リョウォンさんより年下に見えるんじゃないかと思ったが、しっかり感が出ていてお姉さんに見えた。
彼女は〈アンナカレーニナ〉のキティとか〈あしながおじさん〉で上手いとは思ってたけど、知ってみると大学路で一目おかれている実力者らしい。
しかし、昔の女性は大変だなあ。才能あったりすると余計に。
「嵐が丘」のエミリーが作品を人に見せるより燃やしてしまうエピソードが事実なら、何という損失だろうか。
高校生のころ読んで、多分何も分かっていなかった「嵐が丘」をまた読みたくなった。「ジェーン・エア」と末っ子アンの「アグネス・グレイ」も合わせて読むと、その作風がキャラクターに反映されているのでさらに興味深く観劇できるという話だ。(それならさっさと読みなさいよ。まあ無理かな。(-_-;)