最後まで見守ってくれ。
今度は私が望む結末で
終わらせたいから。
〈ワイルド·グレイ〉は芸術と現実の間で自由を夢見る3人、オスカー·ワイルドとアルフレッド·ダグラス、そしてロバート·ロスの話を盛り込んだ創作ミュージカルだ。
慣習と規範で硬直していた19世紀末ロンドン。オスカー·ワイルドは小説「ドリアン·グレイの肖像」を連載し、時代に合わない破格的な素材と内容で英国社会を震撼させる。数回の修正を経ても議論が収まらず、結局主人公のドリアンが死を迎えるという望まない結末のまま小説を出版する。そんなワイルドと彼のそばを黙々と守るロス。望んでいた自由が芸術の中でさえ挫折したその時、嘘のように彼の前にドリアン·グレイにそっくりな男が現れるが…。(インターパークより)
登場人物
「ただ美しさだけが人生を耐えさせる」
オスカーワイルド
現実で夢見ることのできないものを
芸術で欲望する人
「望んだことがあるんです
禁じられた何かを」
アルフレッド·ダグラス
壊れていく自分を救うために芸術を貪る人
「私が代わりに言ってあげようか?
欲しくても持てないと」
ロバート·ロス
決して持てないものを渇望する人
オスカー・ワイルド 実際の略歴
1878年 オックスフォード大学を首席で卒業。
1884年(30) コンスタンス・メアリー・ロイドと結婚。
1885年(31) 長男誕生。翌年秋 次男誕生。
1886年(32) 生涯の友人となるロバート・ロス(当時17歳)に出会う。初めてオスカーに同性愛関係を結ばせた人物と言われている。
(ロスは自分の性的指向を隠しておらず、大学時代いじめに合った。他の学生により噴水に沈められ、それが原因で肺炎を患った。)
1890年(36) 『ドリアン・グレイの肖像』発表。
1891年(37) アルフレッド・ダグラス卿(愛称ボシ:当時22歳)と知り合う。
(ダグラスの父クイーンズベリー侯爵は、粗野な人物で、偏執狂的な性格を持ち併せていた。現在のボクシングの基礎となるルールを作った。家庭内でも鞭を振り回すような存在。ロンドン社交界で奇抜な衣装と異彩な発言で有名だったオスカーと息子の交際を、当初から快く思っていなかった。)
1893年(39) フランス語の『サロメ』をフランスで出版。
1894年(40) クイーンズベリー侯爵が息子ボシに、オスカーとの付き合いをやめなければ勘当する、と脅す
1895年(41) 嫌がらせを続けていたクイーンズベリー侯爵が、「真面目が肝心」初公演の妨害を企てるが、劇場支配人が彼の予約を取り消し、ガードマンに命じて建物の中に入るのを阻んだので、ことなきを得る。
同年ワイルドは侯爵を名誉毀損で訴えるが、結局無罪となる。
侯爵はワイルドを男色罪(正しくは複数の青年といかがわしい行為をした猥褻罪)で訴える。私立探偵を雇い、ワイルドと関係した青年たちを集め不利な証言をさせる。
同年2回目に告発された裁判で、ワイルドに過酷な重労働を伴う2年間の投獄が言い渡される。
1896年(42) 妻のコンスタンスが面会に訪れ、ワイルドの母の死を伝える。その後子供たちと共に改姓する。
1897年(43) 出獄し、その日のうちに大親友のロバート・ロスとレジナルド・ターナーが待つフランスに渡る。その後イギリスに戻ることはなかった。
ボシと再会し、ナポリで2ヶ月間一緒に暮らすが、うまくいかなくなり別れる。
1900年(46) 脳髄膜炎によりこの世を去る。
1905年 大幅に削除された「獄中記」が、ロバート・ロスによる序文つきで出版される。