ユダが戻ると仲間のユダヤ人たちが軍を離れていくところだった。ローマを追い払ってくれるはずのメシアがピラトに捕まり、十字架を背負って刑場に向かっている。結局メシアではなかったと思い込んでいるのだ。
ユダは自分で確かめると叫び、メシアの元に向かう。
ミン・ウヒョク
パク・ウンテ
ハン・チサン
KAI (カーテンコール)
단 한 마디만 제발 내게 대답해줘요
ただ一言だけ どうか私に答えてください
이 꼴이 당신이 바라던 모습인가요
この有様が あなたが望んでいた姿なんですか
왕이 될 수 있는 기회를 마다하고서
王になる機会を拒んで
죄인의 길을 걷는 이걸 원한 건가요
罪人の道を歩むのを 望んだのですか
십자가를 지고서 조롱을 받으며
十字架を背負い 嘲弄されながら
어떻게 이 세상을 구할 수가 있나
どうやって この世を救うことができるのですか
어떻게
どうやって
여기 당신의 군대가 있어
ここにあなたの軍隊がある
말해요 당신이 왕이라고
言ってください あなたが王なのだと
나의 군대여 칼을 들어라
「我が軍よ 剣を取れ
내가 민족을 구할 것이다
私が民族を救うぞ
유대의 왕이 명령하노니
ユダヤの王が命令したから
예루살렘아 칼을 들어라
エルサレムよ 剣を取れ」
제발 한 마디 말이면 충분해
頼むから 一言で十分だ
당신을 구하고 우리를 구원해요
あなたを助けて 私たちを救います
내 가슴에 불타는 이 분노가
私の胸に燃える この怒りが
내 눈가에 흐르는 이 눈물이
私の目元に流れる この涙が
아무런 이유가 없던 건 아닐 거야
何の理由もなかったはずはない
당신이 말해 봐요
あなたが話してください
난 대체 왜 이런 운명을 타고났나
私はなぜ こんな運命を持って生まれたのか
이것이 신께서 바라던 삶이었나
これが神が願っていた人生だったのか
난 저들을 죽도록 죽이고 싶은데 왜
私は彼らを死ぬほど殺したいのに どうして
저분은 내가 목마를 때 물을 주신 분
あの方は私が渇いていた時に 水を下さった方
그분께서 내게 이렇게 말씀하셨네
あの方が私にこうおっしゃった
저들을 용서하라
あの人たちを許しなさい
저들은 자신들이 무슨 짓 하는지
あの人たち 自分が何をしているのか
전혀 모르고 있어
全く分かっていないのです
그런 저들을 용서하라 왜
そんな彼らを許しなさい なぜ?
그럼 난 대체 뭣 때문에 여기에 있나
では私はいったい何のために ここにいるのか
내 가슴에 사무친 칼은 뭐였던가
私の胸に染みついた剣は 何だったのか
ゴルゴダの丘からイエスが杭に打ち付けられる音が響く。すると雷が鳴り響く。降り出した雨の中、虚無感に打ちひしがれるユダ。
そこへすっかり病の癒えたミリアムとティルジャがやってくる。真の救いを得たユダは家族と抱き合って泣き崩れた。
その後ユダは全財産を船に積み込みカタコーム建設のためローマへ向かった。
エピローグはこちらを参考にさせていただきました。
http://noahrosso.blog.fc2.com/blog-entry-793.html
(個人的にカタコームの建設の意義が納得できないのですが、あくまで物語ですから仕方ない)
聖書コーナー

1つ気づいた事ですが、イエスが神だと思っている方がおられるようで。ローマ帝国が政治利用するためキリスト教に様々な改変を加えたため現在まで多くの誤解が残っています。イエス=神、もしくは三位一体というコンセプトもその1つ。
神がまず初めに創造したのは天使たちでした。その中でも一番最初に創造したのが人間になる前のイエスです。イエスにとって父なる神であり、神にとっては大切な長男です。その他にも天使は沢山いるわけですが皆が皆忠誠を保ったわけではないらしい。(10/7追記)
聖書の中に3,500年前ごろに書かれた「ヨブ記」というのがあります。筆者はモーセです。
ある日、天の会議で神さまが1人の天使に尋ねます。「ヨブに注目したか。神に忠誠を尽くす正直な人で、神を畏れ、悪から離れている。」ヨブは神さまの祝福を受けて栄えていました。子だくさんの大金持ち。
その天使は答えます。「彼があなたを崇拝するのは、あなたが彼を保護し繁栄させているからだ。」
人間があなたを信仰するのは自分の得になるからであって、苦痛を味わえば信仰を捨てて自分の命を選択するだろう、とまで言います。
ヨブはこの天使によって全財産を失い、子供を全員亡くし、全身に痛みのある腫物ができて、苦しみのあまり死を望むほどですが神への崇拝は捨てません。それで最後に神さまは失ったものを2倍にして戻します。
(ちょっと脱線。個人的に聖書すごいなと思うのは、良いことばかり書いてあるわけでないところです。ヨブの奥さんが投げつける言葉がシビレます。「こうなってもまだ神に忠誠を尽くそうとするの? 神を侮辱して死んでしまいなさい!」そこまで書いちゃう?そして3,500年前も今も、人間て変わってない。)
で、ベンハーなんですが、「ゴルゴダ」の中でメシアであるイエスにこう尋ねますね。「この有様が あなたが望んでいた姿なんですか」歌声を聴くとベンハーの切実さに胸を打たれます。なんて気の毒なんだ!
でもまさしくそれがイエスの望んでいた姿、人間界に派遣された目的だったのですよ。恥辱と死に至る苦痛の中で神に対する完全な信仰を保って、ひねくれ天使の問いが間違いであることを証明すること。
ベンハーは一言言ってくれれば武装蜂起する準備はできている、と必死に語りかけている。でも違うんですね。メシアはローマからの独立のために来たのではないから。
最後にミリアムとティルジャの病気が治るのは、イエスの王国では何が起こるのかを示しているわけで、メシアの救いはローマからイスラエルを救う程度とはレベルが違う。
最後のシーンは家族が抱き合って終わると記憶してますが、その後ベンハーの心はどんな風に変化したのか、家族とどんな風に暮らしていったのかなー、せめて以後は穏やかな暮らしだったらいいなーと願っています。(再演観覧前に記す)