新緑の候。
家の前にあった学校の解体工事が終わり、ようやく静けさを取り戻した5月の朝。
唐突に父が、燕のために玄関を開放してはどうかと言い出す。
燕マンション(=校舎)が無くなり、行き場を失った燕たちが新居を求めて飛び交っているので、救済したい気持ちは分かる。
だが、雛が孵(かえ)ればそれを狙って家の中に蛇やイタチが侵入してくるだろうし、そもそもこのご時世、24時間扉を開けっぱなしというのはさすがに物騒だと伝えると不服そうな表情。
まあ、若い頃から直感的というかあまり思慮深くないタイプの人なので、こちらもまともに受け止めすぎないで「また変なことを言い出した」と、面白がって見ているくらいがちょうどいい。
本日は約半年ぶりの入院の日(0泊入院は除く)。
青年Tより、抗がん剤の変更に伴う不測の事態に備えて、病院に2晩ほど泊まっていくよう指示が出た。
変な話だが、顔馴染みになった5階東病棟の面々に久しぶりに会いたいと思っていたので、入院と聞いて少し嬉しく感じてしまった。実際は半年の間にかなりの数のスタッフが入れ替わっていて、期待していた里帰り感はあまり味わえなかったけれど。
でも本人確認の際に毎回「福山雅治です」と答えるヤツということだけは伝達されていたようで、特に「は?」という顔をされることもなく、「オッケーでーす」とあしらわれて喜び。
意表を突いて、明日は「竹野内豊です」って言ってみようかな。
さて、今回新たに使用するのは「ハーセプチン」と「ドセタキセル」という2剤で、これは以前受けた遺伝子検査によってオレのがんへの有効性が確認されたもの。
代表的な副作用として、強い倦怠感や手足の痺れ、味覚障害、重度の口内炎、重度の脱毛、重度の骨髄抑制等が挙げられるそうだが、これもまた個人差が大きいらしい。
大体がん治療というものは最終的に何でもかんでも個人差で片付けられてしまうことが多いので、いわゆる「奇跡の生還」というのは、パズルの山から偶然拾った1片のピースが、たまたま最後の空白にピッタリとはまるようなケースに限られるのかも知れない。
それがどの程度の確率で起こるのか知る由もないけれど。
でも、がん細胞の存続にかかわる特定の遺伝子だけを狙い撃ちにする分子標的薬の副作用が、「前回の比ではない」ってどういうこと?
それでなくても筋炎症の悪化で歯ブラシすら重くなってきているというのに、返す返すもがんとはなんと非人道的な病気なのであろうか。
説明に来て下さった薬剤師のKさんが退室し、1人になったタイミングですぐさま職場へ電話。
フリーランスの自営業ならともかく保育園はチーム戦なので、こう頻繁に戦線を離脱するようなことが続けば“決断のとき”はそう遠くないのかも、と勝手に自分を追い詰める。
とりあえず1週間の休暇をいただいた。あとは来週の採血の結果次第。
行事が続く多忙な時期であるにもかかわらず、毎回快く勤務の調整をして下さるA園長には至極感謝。
わがままばかり言って申し訳ない。
なお、懸念材料ばかりが山積しているが、直近の懸案事項は退院して帰宅した際、玄関戸が開け放たれていないかどうかということ。
巣作りが始まっていれば、オレも情に流されてしまう可能性が高いので。
