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古稀を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 かつて関西の日本舞踊界に其の人在りと謳はれた、藤間宏輔師匠が亡くなられて17年。

 この9月15日(日曜日)に、大阪日本橋の国立文楽劇場大ホールに於いて、藤間宏輔師十七回忌追善「豊宏の会」が催され、観賞に行つて参りました。

 

 

 現在は宏輔師匠のご長男 藤間豊宏さんが名跡を継がれてをります。この豊宏さんは、何を隠さう私トリトンと一つ違ひの後輩に当たります。甲南大学時代、大学祭の大イベントの一つが「演劇祭」。これに出演する団体の一つがそれがし所属する應援團、そして豊宏さんが所属する「歌舞伎文楽研究部」も出演団体の一つでした。同じ舞台を踏む仲間として、楽屋が隣同士になる機会も多うございました。

 

 歌舞伎文楽研究部は現在でも実際にプロの舞踊家が就いて切磋琢磨する、全国でも稀な実演型のサークルでございます。

 申すまでもなく私ども應援團は学ランの黒一色で、言はば質素な格好でございます。それに対し、豊宏さんは勇壮な歌舞伎衣装に身を包む時もあれば、女形衣装・化粧の時もあり、脇で眺めてゐる私は、道は違へど大いに魅せられたものでございます。

 

 それを機に豊宏さんとは共に盃を交はす事もあり、それを通じてお父上・藤間宏輔師匠の謦咳に接する機会も頂いたのでございます。当時、宏輔師匠は毎日放送の人気テレビ番組「素人名人会」に於いて審査員長を務めてをられました。私は幼い頃より毎週日曜日に本番組を観てゐたので、初めて拝顔しました折は本当に驚きました。

 

 その豊宏さんが、印刷業を営む私のことを知り、お父上のお許しも得て、私に「豊宏一門会」の公演プログラムを作成して欲しいと依頼して来られた時(平成12年)は天にも登る気持ちでした。私にとつては一世一代の大仕事でございます。お陰さまで大過なく務めを果たして以降、豊宏さんは現在に至るまで毎回当方にお仕事を任せて下さる、まさに大恩人なのでございます。

 

 

 さて、国立文楽劇場は関西を代表する繁華街ナンバにほど近い日本橋に在り、世界無形遺産にも指定されてゐる施設で、文楽のみならず舞踊、歌舞伎、大衆芸能など伝統芸能を毎日上演してゐます。

 

 

 まず此の劇場で単独公演を開くだけでも只者ではないでせう。私は入場しますと楽屋へご挨拶に参りますが、この舞台裏の雰囲気がまた乙でございます。忍者のやうな黒子さん、出番を終へてファンと写真に収まる名取直後のお弟子さん、化粧をしたまま鬘をつける前の格好で「暑い暑い」と扇子を使ふ人…。

 

 この日は十七回忌といふ事で、藤間宏輔師匠の大きな祭壇が飾られてをりました。この写真を観ただけでは「宏輔さんつてお母様じやないの?」と疑問を抱く人も多いことでせう。それほどまでに、宏輔師匠の女形姿は妖しいほどに美しうございました。

 

 

 公演は正午に始まるとノンストップで午後7時までの間に17演目ございます。私はこの間に少々抜け出しては、隣接する「ゑびす」といふお店でたこ焼きと焼きそばをアテにビールを一杯あおるのを楽しみに致しをります。

 すこし良い気分になつて劇場に戻り、再び世にも美しい舞ひや、滑稽な物語、哀しく幻想的な作品などを観るのは、憂き世を忘れさせてくれる、げに幸福な時間でございます。 

 

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