タクシー運転手さんのご苦労〈6〉ーー引退されるAさんの話 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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 昨年末のことで恐縮ですが、私が深夜アルバイト致しをりますタクシー会社で全従業員の中でも、ナンバーワンの長いキャリアと、トップの売り上げを続けてこられた運転手Aさんが、このたびついに退職されました。

 Aさんはすでに80の齢を越へてをられます。息子さんも勤め先の会社で相応の役職に就かれ、更にそろそろ定年間近になつたといふのに、その父親であるAさんが未だに現役のタクシー運転手をされてゐた訳でございます。これまでもずつと「親父、ええかげんに辞めてくれんと、オレが甲斐性ないみたひで、格好悪いやないか!」と、頻繁に退職を勧められてをつたさうです。

 

 タクシー会社に籍を置く私が言ふのも変ですが、タクシー運転手といふ職業は、世間一般的にグレードの高い評価を受けて尊敬されるといふ立場では、残念ながらありません。

 例へば昔、漫才師の横山やすし氏が酔つ払つて、タクシーの乗車拒否を受け、腹いせに運転手に向かつて「お前ら、たかが籠カキやないけ!」と罵つたといふ事件がございました。

 確かに第二種免許さへ持つてをれば、身ひとつで今日から働ける職業であり、良い客(遠方まで乗つてくれる客)にさへ恵まれれば一気に売り上げも伸び、報酬が沢山貰へる代はりに、ツイてなければ初乗り(1500m 660円)の繰り返しで殆ど報酬無しといふ日もございます。つまり「水もの」を扱ひますゆへ、どうしても「その日暮らし」的な生活になる傾向があるのでせう。酒や博奕にパーつと金を使つてしまふ運転手も、中には居られます。勢ひさういつた生活態度から、他人の侮りを受けることがあるのも否定出来ません。

 

 Aさんは若い頃、鉱石をトラック2台使つて運搬するといふ厳しい仕事を自ら営んでをられ、こつこつ稼いで芦屋市に家を建てられました。若さゆへ可能な仕事なので、少し年齢を重ねますと、これまでの仕事をスッパリ辞めてタクシー会社への勤務を始められたのです。

 一日乗務が終はつて帰社し、他の運転手の売り上げを見て、もし自分以上の売り上げをした運転手が一人でも居たら「ううんっ!」と悔しがり、もう一度車に乗つて出てゆくといふ、負けず嫌ひと申しますか、自分が一番にならねばといふ猪突猛進の性格でございました。今でこそ「1日21時間以内の隔日勤務」といふ決まりがございますが、昔は法律も甘かつたのでせう。Aさんは会社にとつて大切な運転手となりました。

 

 その反面、人情にも厚い人でした。一人のヨボヨボのお婆さんが最寄りの駅まで乗せてくれといふので乗車させましたが、車内で話すうちにAさんの人柄を気に入つたのでせう。「私は今から電車に乗つて先祖の墓参りに行くつもりだつたが、もう構はないから現地の墓地まで乗せて行つてくれ」と言はれたのです。結果、駅まで初乗りの660円の仕事だつたのが、何と2万円の売り上げとなりました。

 Aさんの偉いところは、そのお婆さんが墓地で降りて不慣れな階段を登るのを見て、なんと手を引いてゆき自分も一緒に墓掃除までされたのです。お婆さんは感動しました。実の子でさへほつたらかしで誰一人ついて来ないのに「他生の縁」とはこのことぢゃ… お婆さんは、墓参りがすむとAさんに「このまま私を乗せて、家まで帰しておくれ」。この結果、往復4万円の売り上げをされたのです。

 

 世に「営業の神様」と称へられる方が居ります。昔、そのやうな人が出演する研修用ビデオテープを見たことがありますが、その営業マンは見たところ茫洋としてイケメンどころか醜男に近い顔貌、背も低く小太りで、話も上手くなく、どちらかと言へば訥弁なタイプです。そのやうな人が、若くて押し出しの良い社員を抑えてダントツの売り上げをするといふのでした。Aさんは決して醜男ではございませんが、ほかは当にそのイメージでございます。

 

 Aさんはその日以来、私が最も尊敬する人物の一人となりました。少しでもお役に立てればと、たまの面倒な事故届などを引き受けました。年末の最終日には夜勤してくる私のことを帰らずに待つてをられ、丁重なお別れの挨拶をして下さいました。

 このたび、ついに仕事の全てを引退され、奥様とプールに行つたり、曽孫の面倒を見たり、文字通り悠々自適の生活に入られることとなつたのです。いつまでも楽しく、長生きして下さいますやう蔭ながら祈念申し上げます。