体験談ーー怒涛の一箇月でした | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 たいへん遅くなりましたが、寒中お見舞ひ申し上げます。

 今更申し上げるのも変ですが、新年のご挨拶は控へさせていただきました。

 

 昨年12月18日の拙ブログで、対岸の火災視してをつた「コロナ」といふ禍が、俄かに我が家(親の実家=私の仕事場)を襲つたお話を致しました。

 元々、父母、兄一家、私の一家は別居ですが、父母の介護のため、私ども兄弟と夫婦交代で実家へ交互に通ひ始めて2年近くが経過してをります。

 

 実は12月19日(前ブログの翌日)から、父がベッドから立てなくなつてしまひました。

 前日までは、たとへ5センチずつのヨチヨチ歩きでも、トイレに立つたりテーブルで食事をしてをつた父が、ついに寝たきりになつてしまつたのです。

 

 

 そこへ、父を担当してもらつてゐたケアマネジャーの方から連絡が入ります。常々お世話になつてきた、主治医の先生、訪問看護師さん、訪問ヘルパーさんは「コロナに感染された以上、明日からお訪ねすることができません。仕方ありませんが、なんとかご家族で乗り切つて下さい」といふ宣告です。

 

 さあ、大変。

 毎朝来て下さつてゐたヘルパーさんに、全てお任せしてゐた、父の体の清拭ひとつにしても、素人には容易ではありません。「いずれは家族の手で」と近くで見てはきたものの、いざ自分でやつてみると、抱き起こしたり寝返りをうたせたりする行為は、大の大人でもなかなか出来るものではございません。おまけに、父は腰の骨を折つてをりますゆへ、その痛がりようは半端なものではないのでした。

 父の入院先が12月21日(月)に決まりました。それまでの3日間、私ども家族の見よう見まねでこなしてゐた介護も、父のおむつ替へ、抱き起こしを繰り返すうち徐々にずさんになつて参ります。ゴム手袋、前後の手洗ひ、アルコール消毒、これらの動作が、プロの医療従事者のやうに徹底できなかつたのですね。

 その結果、22日にまず兄が高熱を出して、PCR陽性。翌日入院。

 母は認知症のため、一人放つてをけないので、私が独りで泊まり込みです。その後、父に寄り添つてゐた母もまたPCR陽性が出て、入院。つまり父母兄弟4人、立派な家族クラスター状態です。

 

 父は94歳の高齢のため、肺炎で呼吸が出来なくなり、大晦日に亡くなりました。

 母も90歳でしたゆへ、体力がもたず先週亡くなりました。

 そして遂に私もPCR陽性となり、1月4日入院。10日間、熱が下がりませんでしたが、無事退院することができました。怒涛のやうな1箇月でした。

 

 無念なことに、父母の亡くなつた両日は、兄も私も入院中。兄弟いづれの家族も病院に入ることが出来ず、最後を看取ることは叶ひませんでした。志村けんさんや岡江久美子さんに同情してゐた我が身に同様のことが降りかかると、誰が想像したことでせう。

 つひ1箇月前は、共に食卓を囲んでをりました。今は私独り、ようやく親の家で自営業に復帰致しをります。

 

 新型コロナは、巷間「恐れ過ぎる必要はない」と言はれますが、こと後期高齢者以上の方に関しては、やはり死亡率の高い恐ろしい病気でした。

 お訪ねいただきました皆様、体験者の談としてご参考にして頂ければ幸甚でございます。合掌